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理論と理論でないもの

なぜ正解を1つと決めつけるのか

私は子供の頃から暗号解読的な謎解き問題の答えに納得できないことが多かった。超簡略化して例えると次のような感じだ。

問題:次の 〇〇〇 に当てはまる言葉、なーんだ?
正解:「こんぶ」

なるほど、この問題だと答えが「ツナマヨ」でないことはわかる。しかし、答えが「おかか」や「しゃけ」ではない可能性が説明されない限り、「こんぶ」だけが正解でそれ以外は間違いとすることに納得できなかった。残念ながら、この主張を理解してくれる人は周囲にいなかった。

そうした思いは大人になった今でも持っているが、先日私にとってのインフルエンサーの一人・早稲田大学大学院の入山章栄先生の著書『世界標準の経営理論』を読んでいるときにこの思いに少し通じることが書いてあった。

詳しく説明すると長くなりすぎるので省略するが、この本の第40章で経営理論を実証する際に必要な視点が説明されている。例として取引費用理論(TCE)をあげて入山先生は

さらに言えば「TCEの理論通りの行動を取ってパフォーマンスが高まった」企業を取り上げるだけでも、十分ではない。なぜなら、「資産特殊性が高い状況で(TCEの視点からは 内部化すべきなのに)、内部化をしなかった企業は本当に業績が下がるのか」までを検証する必要があるからだ。

入山章栄『世界標準の経営理論』ダイヤモンド社

として次の図を載せている。

『世界標準の経営理論』第40章より

つまり、上図の①と④(効率性が向上)を実証するだけでは不十分で、それとは反する②と③(効率性が低下)も検証が必要なのだ。そうなると、最初にあげた例では正解が「こんぶ」であることだけでなく、「おかか」や「しゃけ」が正解ではないことが説明されなければならないのだ。違うかな? まぁ、そんな感じ。

フレームワークは理論ではない

入山先生のこの本は私の愛読書の1つだ。先日読み直したときにこの小見出しの内容を再発見し、あらためて目から鱗が落ちる思いがした。入山先生によれば、「理論とは何か」について学者のコンセンサスはないが、「理論ではないもの」については一定のコンセンサスがあるそうで、それは、

  • 参考文献や引用の羅列は、理論ではない

  • データを記述しただけでは、理論ではない

  • 概念の説明は、理論ではない

  • 図表は、理論ではない

  • 命題や仮説だけでは、理論でない

とのこと。世間的には有名で、さも理論かのように扱われている理論でないものの例として「ファイブ・フォース分析」「SWOT分析」「BCGマトリクス(金のなる木、負け犬など)」「ブルー・オーシャン戦略」などがあげられている。これらは単なるフレームワークなのだと。
これって結構な目から鱗ではないですか。個人的にはこの中でも特に「SWOT分析」は認知バイアスを増幅するだけの悪手だと常々感じていたので、わが意を得たり!という気持ちでした。自分の常識が「世間の非常識」になってしまわないよう、継続的な学びは欠かせませんね。


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