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『葬送のフリーレン』魔族はなぜ敗れ去るのか

勇者ヒンメル一行に討伐された魔王。『葬送のフリーレン』の世界観の中では、魔族は敗れるべくして人間たちに敗れ去った。それについての一考察。


ファンタジーの世界観

剣と魔法の世界を舞台とする数多いファンタジー作品には共通する世界観がある。異説はありそうだが、日本で後世の作品に大きな影響を与えたのは『ロードス島戦記』であり、これはトールキンの『指輪物語(ロード・オブ・ザ・リング)』のよく言えばオマージュ、悪く言えば丸コピだ。
『指輪物語』には人間の他にエルフ、ドワーフ、ホビットといった種族が登場し、彼らは人間とおおよそ友好的関係にある。一方、人間に敵対する勢力(いわゆるモンスター)としてはゴブリン、オーク、トロールなどが登場する。

現代で量産される和製ファンタジーのほとんどが『指輪物語』の世界観を踏襲し、人間と比較するとエルフは永遠の寿命を持つほどに長命で、ドワーフも人間よりはるかに長生きする設定が一般的だ。

魔法とは何か

一方で、ファンタジーに不可欠な魔法は様々な描かれ方をしていて、作品群をまたがる共通要素に乏しい。

  • 信仰する神々の加護によって力を発現するとか、

  • 生まれつきの能力によるとか、修行で身に付けるとか、

  • 魔法書の呪文を唱えると発動するとか、

  • 作品によっては魔法書や魔道具があるだけで力を発するとか、

実に多様で統一感がない。
例えばパリー・ポッターには「アバダ ケダブラ」と唱えるだけで人を殺せる魔法(呪文)が登場する。あのシーンを子供と一緒に見たときには、

こんなデタラメな魔法があるかぁ!

と突っ込みを入れてしまったが、考えてみれば強力な魔法に長い詠唱を必要とするのは、日本では『BASTARD!! -暗黒の破壊神』が広めた表現方法であって、これが絶対的な基準というわけではない。

『BASTARD!! -暗黒の破壊神』の呪文詠唱シーン(コミック第5巻より)

『葬送のフリーレン』に登場する魔法も極めて強力でありながら無詠唱で、もしくはごく短い詠唱で発動するように描かれている。これは魔法とは何かについての世界観が作品ごとに様々なためだが、強力すぎる魔法の存在はストーリーを破壊するリスクをはらんでおり、単一作品内では決まった描き方をしてほしいと読者は望むが、設定を考える作者には大きな負担なことだろう。

魔族の「ステータスゲーム」

ファンタジーに登場するモンスターは先の『指輪物語』や『ダンジョンズ&ドラゴンズ(D&D)』に影響を受けた作品が多くみられる。日本ではゲーム「ドラゴンクエスト」の影響も無視できないが、人間、エルフ、ドワーフといった人系種族に比べると、モンスターは多様な描かれ方をしている。

『葬送のフリーレン』に登場する魔族はファンタジーに付き物の典型的な敵勢力だが、作品中では、

  • 人間と同じ言葉を話す

  • 本質は魔物で人を捕食する

  • 個人主義で家族や子育ての習慣がない

  • かなり長命

  • 魔法が好き

などの特徴をもった種族として描かれている。特に重要なのが魔力についてで、

  • 魔力の強さが人間にとっての地位や財産にあたる

  • 魔力の強さが魔族内の序列を決める(強いやつがエライ)

  • この序列によって必要最低限の組織を形成できている

  • 序列を維持するために自分の魔力を常に誇示している

などと表現されている(アニメシリーズ第10話より)
つまり、魔族にとって魔力がステータスなのであり、ほぼ「戦闘力」と同義の魔力が唯一のステータスであることに魔族の限界がある。

『ステータス・ゲームの心理学: なぜ人は他者より優位に立ちたいのか』(原書房)によると、はるか古代の狩猟採集生活をしていた初期の人類は他者を服従させる強い力を持つことが最重要ステータスの状態にあったとされている。文字通り「力こそ正義」の時代だ。

しかし、人間が集団で生活を始め、集団対集団の競争へ環境が移行していくと、単に力を持つ者だけを崇め敬うことは集団の力を向上させる目的と相反するようになってきた。集団全体の力を上げるために、集団の利益を考え、集団に貢献する行動が価値を持ち、それを行う個人がステータスを獲得するようになった。力によるステータスに対して、これを美徳によるステータスと同書は表現している。

かくして人類は勝利する

美徳によるステータスを獲得した人類では、行き過ぎた個人の欲望を抑制する傾向が強くなり、集団を過度に支配しようとする暴君は追放されたり、殺されたりした。それに代わって、平和を好み、集団を保護し、食料を分配する美徳に満ちたリーダーが君臨することになった。
そして人類は、家族という持続的な関係を構築し、役割分担によって子供を育てる生活へ移行し、現代まで続く繁栄を築き上げてきた。

こうした説を『葬送のフリーレン』にあてはめると、魔族は力がステータスの段階、人間やエルフ、ドワーフなどの人系種族は現代の私たちと同様に美徳がステータスの段階にある。
力が全ての魔族には才能を育てる発想がなく、個々の能力に依存するのみで、種族全体の力を高める仕組みを持つことができない

一方の人系種族では作品中に見られるように、フランメがフリーレンを育て、ハイターがフェルンを助け、アイゼンがシュタルクを、フリーレンがフェルンを育てる。こうして秘められた才能を開花させ、育て上げることが長い時代と広い地域で積み重なって人系種族全体の力が向上していくのだ。

こうしてみると勝敗は一目瞭然だ。長い年月と共に営々と種族の力を向上させ続けてきた人類に魔族がかなうはずがない。『葬送のフリーレン』の世界観の中で、魔族は敗れるべくして敗れ去るのである。

(本考察はアニメシリーズ第28話までの視聴内容に基づきます。原作マンガは読んでないので、、、)

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