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多様化に追いついて欲しいという、母の願い

外来受診でふと周りを見渡すと、年々呼吸器をつけたお子さんも増えて、病気や障害が多様化しているのかなぁ・・と感じます。

呼吸器をつけていても歩行出来たり、しっかりと座位を保てるお子さん、意思疎通が出来るお子さん、呼吸器は持参しいているけれど体調が許せば人工鼻で過ごせるお子さんetc・・

医療の発達に伴い、自宅で過ごせるお子さんが増えたのでしょう。我が家も例外ではありませんが。

病気や障害が多様化し、その過ごし方も多様化したのかなと感じています。

いや、病気や障害が多様化したというよりも、医療の発達によって共存出来る様になった事で多様化した、と言った方が良いのかな・・。

我が家の10歳になる長男は、歩く事も、誰もがわかる様な意思疎通もとることも出来るわけではありません。それでも長男は呼吸器をつけて寝返りをします。ベット上では大半の時間を寝返り姿勢でニコニコ笑顔で周りを見渡しながら過ごしています。そんな長男でさえも、呼吸器をつけて寝返る事は珍しい様で驚かれる事が結構あったりします。


通っている支援学校では、気管切開をしていたり呼吸器をつけているとうつ伏せをする事ができません。入学するまで知りませんでしたが、学校独自のルールがありました。カニューレが抜けるなどの事故を防ぐためのルールだと思いますが、自らの意思で寝返る子供にも容赦なく適応されてしまいました。そのため、学校では本来できる姿勢、とりたい姿勢をとる事が出来ません。長男にとって寝返りをする事は気持ちの面でも身体の面でも大切な事だと家族は考えますが、学校生活においては危険とみなされてしまい、話し合いを持ちかけても殆ど進まない状況が何年も続いています。

「教育」の場に「医療」を持ち込む事の難しさ、みたいなものに直面しています。けれども、長男にとって医療は生活や体の一部。教育と医療を別々にして関わる事は難しいと思っています。なので私は、医療を含めた「個人」であり「教育」であって欲しいと願うのです。

ただ一方で、多様化に合わせるのが難しい事も理解できます。多様化すればする程、収集が付かなくなるのかもしれませんし、そもそも多様化に対応するためには対応する側も相応の知識や技術が必要となります。そう考えると、学校生活において状況によってはルールが必要となる場合があるのかもしれません。

けれど、だからこそ「危険」を意識する上で、それは一体誰にとっての「危険」であるのかを、学校と家族と本人とですり合わせる事が大切なのではないでしょうか。

悪く言えば、子供や病気の多様化に追いついていないと思いますし、もしかしたらまだまだ通学して学校生活を送る医療的ケア児が少ないという現実の現れなのかもしれません。

今、学校と話し合っているこの過程そのものが、いつかもっともっと多様化していくであろう未来にほんの少しでも役立ってくれたらなと思っています。

そして障害や医療的ケアがあっても、どの地域に住んでいても、どこの学校にいても…必要な支援を受ける事が出来て、安心して学校生活が送れる様になって欲しいと願っています。






宜しければサポートお願い致します☘️ いただいたサポートは長男の生活用具に使わせていただきたいと思っています☺️宜しくお願い致します❣️