幸せだと決め付けられて

「幸せそう」だとよく言われる。
身内から、全く私を知らないような人まで。
学生時代の知人も、再会するとそれを口にした。

自分のことを、特別不幸だと思ったことはない。
少しつらいこともあったけれども人並みで、それよりも周りの人に恵まれているから、つらいことなんかはいつの間にか吹き飛んでしまっていた。
あなたは幸せだ、と決め付けられたり、「幸せそうでいいなぁ」と言われるたびに思う。
「幸せ」って何のことだと思う?と。

おそらく周りの人は、私の何かを見て「この人は幸せだ」と思ったのだろう。
確かに、つらいことは人並みだと思うけれども、人並みのつらいことを乗り越えるために、真っ暗い部屋でわんわん泣いたりもした。
それを全く知らないような人に「あなたは幸せだ」とか「幸せそうでいいなぁ」なんて言われる筋合いはない、と思う。
裏でどんなに打ちのめされたか、どんなに潰れたか、それを想像もできない人に言われたくない、と私は思う。
20年とそこらしか生きていないヘラヘラしたバカに見えるのか、私はよく「幸せであること」を押し付けられる。
いやいやちょっと待ってよ、けっこうつらいよ、それを知らないでよくそんなこと言えるね、なんてことを思うのだ。

みんな見えないところに必ずなにかあって、それなりに抱えているわけで、それを他人が一方向から見ただけで決め付けちゃいけない。
幸せという言葉は繊細だから、あまり他人に押し付けるものではない。

私のどこを見て「幸せ」を感じ取ったのだろうか。
その人の考える「幸せ」とはなんなのだろうか。

「幸せそうでいいなぁ」と言われた時のうまい返しはまだ見つからない。
「幸せだ」と決め付けられた時の切り返しも見つからない。
お金がたくさんあっても、本物の愛情に出会えず心をさみしくしている人もいるし、お金がなくても、心が豊かで幸せだという人もいる。
人それぞれ違うんだと思う。
お金がたくさんある人からも、お金が全くない人からも「幸せそうでいいなぁ」と言われたからお金ではないのだということは分かる。
それ以外はまだよく分からない。

私は自分のことを特別不幸だとは思っていない。けど「幸せそうでいいなぁ」「あなたは幸せだ」と言われると腹が立つ。
決め付けられることが嫌なのか、それとももっと違うものなのか。

よく分からないけれども、あまり考えずに次に進んだらなにか見えてくるのだろうか。


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