映画「犬部!」を観て思うこと

~ネタバレを含みます~

関西での「犬部!」上映は滋賀を除いて終了してしまった。
東京ではミニシアターを中心に随時上映が決定し、シネコンとの入れ替えが始まっているようだ。
関西でも是非、ミニシアターなどでの上映を期待したい。

犬や猫の殺処分というのはとても難しい問題だ。
可哀想だから、と全部引き取って面倒を見るのにも限界がある。
現在も年間3万頭以上の殺処分が行われているそうだが、そうした原因は人間にあると断言できる。

昔「動物のお医者さん」という漫画が流行った。
とても楽しい漫画で、獣医を目指す若者たちの話ではあるが、ほとんどが動物絡みの「あるある」ネタで笑える内容で、その中でも主人公の飼うシベリアンハスキーの「チョビ」は人気があった。
その影響だと記憶しているが、一時期シベリアンハスキーを飼う人が増えて、人気犬種になっていたことがある。
ただ、ハスキーはとても大きい。
飼うにしても散歩が大変だし食べる量も多い。
そのうち手放す人が増え、殺処分されていると聞いた時は、とても残念だった。

CMの影響でチワワが流行った事もある。
番組等で取り上げられてミニチュアダックスやトイプードルが人気犬種になったり、ドラマの影響でミニチュアシュナウザーが人気だった頃もあった。
もっと昔なら、コリーが人気だった事もある。

人気があれば売れる。
だから繁殖させて売る人も出てくる。
ペットショップのケージには人気犬種が多く、翌週にはもう全部買い手がついて子犬が入れ替わっていることもあった。

最近では猫ブームもあって、ケージのほとんどが子猫だったこともある。
ただ最近は猫と犬が半々で、扱う種類も偏りが無くなった様に感じている。

私はこういう犬や猫の「ブーム」が苦手だ。
実際に私の周りでも犬を飼っている人の中で、「この犬種が流行っているから飼ってたら女性にモテるかと思った」と発言する人もいて、それ以来関わりたくないと思っている。

「犬部!」は実話をもとにしたフィクションだが、目を背けたくなる現実はそのまま盛り込まれていた。
野良として生きていて捕獲されたり、飼い主から持ち込まれたりする犬や猫がいる愛護センターや多頭飼育崩壊に陥った元ペットショップなど。
そういう動物たちを「一匹も殺したくない」という信念で行動する花井颯太と、同じ思いだが敢えて自らその現場へ入り、現状を変えようとする柴崎涼介の二人の若者が中心となって物語は作られている。
この二人の目標は同じだが、アプローチや性格は真逆だ。
自分がこうと思えばどんどん突き進む颯太と思慮深く常識的な柴崎は友達だが、対立もする。

熱い思いと友情で突き進めた学生時代から16年を経て、30代後半になった二人はそれぞれの場所で目標に向かって頑張っていた…はずだった。

獣医師となり自ら経営する病院で保護犬・保護猫の手術や里親探しを続ける颯太にとって、まずは命を助ける事が全て。
犬や猫の命が脅かされている状況を目の当たりにすると、思考より先に身体が動いてしまう、というタイプに見える。
「犬部!」を創設して自分の人生のほとんどを費やしてきたからこその自信や信念は簡単に曲げられることはないだろう。
ただそこにはどうしても「軋轢」は生じる。
意思の疎通を図る事の大切さ、相手にも理由があると慮る大切さを、痛感する事に遭遇する。

柴崎がある理由でセンターを辞め、違う仕事に就いている事を知って、一旦は途絶えた二人は再会する。

卒業式の日、一緒に病院をやろうと声を掛けた颯太に、「答えはNOだ」と意志を貫いた柴崎の事を、颯太は理解していなかっただろうし、納得もしていなかっただろう。
何故柴崎が「殺処分」の現場へ飛び込んでいくのか、「一匹も殺したくない」と言う颯太には理解できないという事は容易に想像できる。

ただ、柴崎も苦しんで悩んで、自ら命を絶とうとするほど追い込まれていた事を知り、颯太は会いに行った。
そこで颯太は「俺も反省するところがあってさ」と柴崎に言う。
自らが逮捕されるという多頭飼育崩壊の元ペットショップオーナーの話を聞く事で、みんなそれぞれ理由はあるのだ、と理解したのかもしれない。
犬を不幸にしよう、虐めてやろうと思っていたわけではなく、犬が好きで始めた繁殖と販売。
きっと最初はみんなに犬と暮らす楽しさや幸せを味わってもらいたいという気持ちだったのだろう。
そう感じていたから「反省した」のではないか。

柴崎が来てから、愛護センターが変わった、と上司は語る。
殺処分の日、一緒に散歩をして、好きなものを食べさせて、一匹一匹腕の中で注射をして、眠るように逝かせたという柴崎の事を聞いて、「俺には一匹も無理だな」と言う颯太。
自他ともに認める「犬バカ」の二人にとって、殺処分は最悪の事態だ。
それを止めようとする気持ちは同じなのに、その行為を自ら行う柴崎を颯太はやはりどこかで理解できなかったのだろう。

柴崎は彼なりに「中から変えていく」事に一生懸命だったし、「一番最悪な場所を変えていく」という希望を糧に頑張っていた。
それでも減らない動物たち。
救っても救っても何故ここに持ち込まれるのか、と嘆く柴崎の気持ちは、救われる日がなかったのかもしれない。

そういう「空白の期間」を本人からではなく、人づてに聞いたから、颯太の心は動いたのだと思った。

柴崎は柴崎で、頑張っていたんだ。
一匹も殺したくないという気持ちは同じで、最悪の場所を変えて行こうとしていたんだ、と。

最後にセンターに戻ろうと思う、と言う柴崎を颯太は引き留めなかった。
柴崎は中から、颯太は外から。
それぞれが一緒に頑張れば、いつかきっと「殺処分ゼロ」は実現するだろう、と颯太が納得したのだと感じた。

飼い主の中には、流行り廃りで動物を選ぶ人もいるかもしれない。
飼い主の不慮の事故で、行き場を無くした動物もいるだろう。
動物を飼うということは、命を預かる、ということだと、この映画を通して再認識した。

私は保護猫のボランティアをされている方と話しをしたこともあるし、さくら猫の存在も以前から知っていた。
うちの飼い猫は経緯はわからないが、母猫の死体のそばで鳴いていたのを保護してそのままうちの子にして3年が過ぎた。
とてつもなく可愛いし、できれば猫又になって夜な夜な話し相手になって欲しいし、私が死んだら猫バスになって黄泉の国へ連れて行って欲しいと思っている。

犬や猫と暮らすのは、人と暮らすよりも大変だ。
突然ご飯を食べなくなったり、調子が悪くなったりもする。
お留守番もそう長くはさせられないし、何よりも有事の際は守れるかどうかすらもわからない存在なのだ。
大人にはなるけど、手間はずっと変わらない。
ずっとずっと人間の赤ん坊を相手にしているような、そんな感覚になる事もある。
それでもずっと一緒にいてくれたら、と思える存在になるのであれば、保護した子でもペットショップの子でも変わりはないと思っている。

もちろん、保護犬・保護猫に新しい飼い主を探す活動は素晴らしい。
ただ、だからと言ってペットショップの子達を買うのは邪道、という同調圧力は疑問に思う。
彼らも売れなければ殺処分対象になることもある。
先日行ったホームセンターでは、ペット用品や生体も扱っているが、他のペットショップで大きくなってしまった子や先天性の異常がある子、繁殖を終えた子達の里親探しをしている旨の貼り紙があった。
ケージの中でうずくまるように寝そべっている生後半年を過ぎた子を何度も見て来た。
値段が下げられても、買い手がつかない子の寂しそうな顔に、何度も心が揺れたことがある。
飼えないものを無理に引き取って、結局周りに迷惑をかけてしまえば少し遠回りしただけで、結果は同じなのだ、と自分に言い聞かせて「ごめんね」と心の中で何度も謝ってきた。

血統書付きの子でも、殺処分対象だったという事もある。
そういう子を引き取って飼っている人も何人も知っている。
ペットとの出会いも運命だ。

子犬や子猫は可愛い。
はしゃぐ姿に心躍り、疲れて眠る姿に癒される。
だけど、彼らはすぐに大きくなる。
それでも愛情を注げるのか、年を取ってよぼよぼになっても、変わらず大切な家族として一緒に暮らしたいと思えるのか、というのは重要だ。

映画本編では入ってなかったが、小説版の方では、大人になった犬や猫を躊躇する人に対して語り掛ける言葉があった。
大人になってから出会っても仲良くなった人はいる。それと同じなのですよ、という趣旨の言葉だったが、少し時間が掛っても相手を知ろう、理解しようという気持ちは人だろうと犬だろうと猫だろうと、そう変わりはないのだ。

コロナ禍でペットを飼う人が増え、通常に戻りつつある頃、飼えなくなったと申し出る人が続出しているという記事を今年の初めごろによく目にした。
子供の相手にちょうどいいと思った、在宅で退屈だから、など飼い始めた理由は様々だったが、たった数か月でも一緒に暮らした動物を物のように「いらない」と言える人は、きっと「命」という認識があまりなかったのだろう。
犬も猫も、人と同じで、一生懸命生きている。
むしろ彼らは自ら命を絶とうという発想はないだろう。
「生きる」ことが目的なのだ。

保護団体さんから譲り受ける保護猫などは里親になるまでのステップがかなり設けられており、購入するよりもハードルが高いと感じることもある。
人と動物がストレスなく一緒に暮らすために必要なステップでもあるといえるだろう。
それこそ、気の合わない人と結婚したいとは思わないだろうし、友達付き合いだってできないのと同じで、「相性」というものはある。
こちらが一目惚れをしたとしても、動物側が負担に思っていたらそれは不幸だ。

ペットショップはお金が掛かる代わりにそういうハードルはあまり高くはない。
だからこそ、「命である」ことを十分認識してもらう機会はもっと設けてもらいたいと思う。

柴崎が成犬を希望する人に譲渡している様子がラスト近くで出てくる。
以前は成犬譲渡は行っていない、と言っていた同じ場所で。
少しずつだが、「変わっていく」様子がそのシーンから感じられる。

多頭飼育崩壊から救い出された老犬を無事譲渡した颯太が、強い眼差しと足取りで、真っ直ぐ進む姿でこの物語は終わる。

中からと外からと。
両方から「殺処分ゼロ」を目指す二人の姿が頼もしい。

モデルになった獣医の先生は今でも悩みながら、迷いながら、それでも殺処分ゼロを目指して動物愛護と向き合っていると言う。
答えは一つではないだろう。
動物愛護に対する認識も変わりつつある世の中だが、少し意地悪な見方をする人から、「肉食をしていて動物愛護とは」という言葉もまだ根強く、その辺りも悩む一端ではあるだろうと思う。
大量生産、大量消費の理論は「命」には当てはめてはいけない。
犬も猫も、自然に存在する子達が、適切な場所で適切な人と一緒に暮らす方がずっと幸せなのだと思う。

ただ、私も犬や猫や他の動物をたくさん飼ってきた人間として、まだ悩む事はある。
みんな、幸せだったのかな。
そんな後悔は絶対になくならない。
どれだけ心血注いで接してきても、それだけはずっと無くならないと思う。

でも、そう思う気持ちがあるからこそ、目の前の命を大切にできるのではないか。
そう考える事もある。

映画「犬部!」は動物と暮らしたい、暮らしている、というすべての人に見てもらいたい。
自分がどうすればいいかを一緒に考えて、悩んで、迷いたいと思える映画だ。
公開から1ヵ月経って、上映館も減って来たが、観る事が出来る地域の方は是非、観て欲しい。

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