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ぬくぬくねずみと消耗品の私

 私はワインをちみちみ飲んで、ねずみは解凍したコーンを食べている。そういう夜。
 つくづく私というのは社会に磨耗されている消耗品だなと思う。
 22歳でどうにか就職して正社員になって、一日を磨耗に捧げて、たった手取り20万である。この人生を続けていくと考えると気が遠くなる。就職したばかりの私は本当に必死で、体が死んでいた。今生きているのが不思議なくらい。毎日眠たくて揺れていた。前任者の引き継ぎで入社して、一ヶ月で一人になり、これで合っているのかと不安な中、私の上司になった別の業務の人が他の新人をパワハラしていると会社を辞め、新しく入ってきた新人に業務を教えるも遅刻やドタキャンが多くて辞めさせられて、また新しい新人がやってくる。その頃にはもう全てに慣れていて、謎の咳は止まり、謎の目の充血もなくなって仕事がつまらなくなった。一人であせあせしていた頃は辞めるという選択権が私にはなかったけれど、今はつまらなくて仕方がない。あの苦痛を乗り越えた今、暇で暇で仕方がない。正社員になれれば何でもいいやは苦痛だったのだなと今知る。社会に順応した社会人にならなければと焦っていたけれど、なってみたら苦痛なのだな。二つ年上の人に「年上だと思っていました」と言われた時は、大人の社会の中で大人ぶれていたのだなと安堵のような、けれど同時に大人ぶらなければならない環境にいることに悲しくなったりする。
 例えばねずみを膝に乗せてさわさわと撫でながらできる仕事があったらいいのに思う。文章を書く仕事、憧れるなぁ…。好きは仕事にならんのか。
 人生は妥協なのだ。
 大人になるというのは妥協だし、人生は妥協の連続。漫画家を目指す同級生が漫画家のアシスタントとして日々を磨耗して、夢に向かう時間すらないことをThreadsに嘆いているのを見て尚思う。人生は妥協なのだ。
 ねずみを抱えてワインを飲む時間だけが私の束の間の至福。大人になるということはこういうことなんだろうな。愛しい子を家に放置して一日が終わるのが、大人の日常なのだな。
 今の私は、人生がつまらな過ぎて死にそうです。