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最悪の結果は理論武装で逃げる

こんにちは。もぬんこです。美味しいものを食べてメンタルをどうにか保つ毎日。終わり良ければ全て良しという言葉がありますが、逆も然りだなと思うんです。

終わり良ければ全て良し

どれだけ辛いことがあっても最終的に「あんなに辛いことを乗り越えたから今があるんだ」と思える結果になったら、それが私にとっての正解であり正義であり幸せであると思っています。

10月から副業解禁になるかもしれないので、そのタイミングで副業をしようと考えています。馬車馬のように働き、とにかく稼ぎたい。

そんな話を父親としていたら「お金だけが全てではない」という言葉がありました。そんなことはわかっている。父親は勘違いしている。
お金を稼ぐことに幸せを見出しているのではない、その先に見えるものがあるんです。

私のゴールは死です。理想の死に向かうためにとにかく稼ぐのです。終わり良ければ全て良しですから。

終わり悪ければ全て悪し

結果として、私が得たい何かが得られないならば、それは私の中で間違いです。悪とまでは言いませんが、私にとって意味をもちません。

賛否はあると思っています。過程が大事だって言う人もいるでしょう。それを否定したりはしません。そして、その間違いがあるからこそ次の正解に繋がることも理解しています。

ただ、本当に1回しかないチャンスや欲しいものがこの世に1つだった場合、私は過程もクソもないと思うのです。
後悔したってどうしようもない事実があります。そして、後悔する程の選択肢がない場合もあります。

「あの時こうしていたら」そんなことすら感じさせてもらえない結末があります。どれだけ肯定的に捉えたくても捉えられない事象はあるのです。

呼び戻される"たられば"

私は「あの時こうしていたら」という"たられば"が大嫌いです。でも最悪の結果は、私にたらればを呼び起こします。私の人間としての弱いところが出てきます。根底を否定したくなります。

「こんなことなら出会いたくなかった」そう思うような結果があったとします。その出会いが何によって起こったかを考えます。それが仕事の転勤だったら…「こんな仕事に就かなければよかった」という結論になります。

「こんな仕事」で出会えたたくさんの人も素晴らしい結果も全てを否定する結論になってしまう。仕事についたきっかけや前提までも否定してしまいます。そうすると最後に繋がるのは「生まれてきたくなかった」になるんです。

自分のことに対してだけ完璧主義なんです。自分でも理解しています。この考えが自分自身を苦しめていることもわかっています。

法律・規則・マナー・常識…そういったことを全部考えます。一つでも犯したくない。そして犯してしまったならば驚く程悩みます。どうしてこんなことをしてしまったのだろうと。

別に良いじゃないと言ってくれる人もいます。違う。私自身が嫌なんです。

ちなみにですが、他の人がどうしようとあまり気にしないです。

生かされて幸せなのか

私は人生の淵で何度か完全に心が死にそうになったことがあります。その時々で、誰かが私を救ってくれて、現在があります。

心から感謝しています。薄っぺらい言葉になりますが「あなたが居たから生きている」というやつです。

ただ、その救ってくれた人がいなくなる。私を救ってくれた方々のほとんどは、私から離れていきます。それはその人の死も含まれます。

生きているというより「生かされている」という言葉の方がしっくりきます。

でも私は幸せなのでしょうか。今はわからない。もしかしたら死に直面した時に答えがわかるのかもしれません。

人は欲深いものである

先日「生きる言い訳を探している」という記事で少し書いたことがあります。

本当に欲しいものは手に入らない

これは私にとっての最悪の結果です。

人間は幼い時に得られなかったものを求め、それが手に入らないと思い込むというような発言を見たことがあります。(探したのですが見つからず引用を断念)

本当にその通りだと思っていて、私は私が欲しいものは手に入らないと思っています。そして、結果として手に入っていません。

手に入れるために努力もしました。人生が変わりました。でも手に入りませんでした。その喪失感は、私が死にたいと思う理由として十分なことです。

言い訳は防衛本能である

私は今も最悪の結果と向き合えずにいます。最悪の結果は一つではなく、何個かあるのですが、それを受け入れられずにいます。

それでもこの選択に後悔はしていない

私はその言葉をある意味暗示のように言い続けて生きています。

最悪の結果を理論武装で見ないようにしています。
逃げるんです。目をそらすんです。

そうしないとと否定したくないことを否定してしまうから。

きっと今死ねば「出会えてよかった」と思うんです。でも今のところ死ぬ気がないので生きる選択肢をとっています。だからこそ「出会いたくなかった」し「生かされている」と思います。

向き合うことだけが正解ではない

言い訳や逃げることを悪とする人はいますが、向き合うことで潰れてしまう人もいます。向き合うにはタイミングがある。それは本人が決めることです。

苦しんで悩んでいる人を見て「こうすればいいじゃない」って思うことがあるかもしれません。でもどうしてもその行動ができない場合もあります。本人にしかわからない背景もあります。

逃げてもいいじゃない

おわりに

私は、自分の正義で誰かの悪になるのがまだ怖い人間です。私が良ければそれで良いと考えられる強さがありません。

だからこそ悩み苦しんでいて、それを人に相談するということは申し訳ないけれどできません。私は私の中で消化するしか方法がない。
結構センシティブなnoteを書くので色々な方が心配して声をかけてくれます。本当にありがたいことです。ただ、だからと言って私はあなたには相談はできません。親友であろうと親であろうと誰であろうと私は相談ができないんです。相談したくないんです。わかってほしい。
結局このnoteも自己満足です。「なぜ相談してくれないんだ」と言われるのが大変面倒臭いので書きました。ご理解ください。

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