人間関係の断捨離
こんにちは、もぬんこです。友達が多そうに見られる私ですが、広く浅く短い関係が多かったりします。深く長い関係の人があまりいないのって何でだろうと考えていたら答えに辿り着きました。
断捨離をしやすい生き方
生まれてから現在に至るまで、済んだ都道府県としては5つ。18歳以降の引っ越し回数は10回というよくわからない生き方をしています。
大学進学、留年、就職、結婚、転職…理由は様々です。
各地を転々とすると、疎遠になる方はどうしてもいるものです。これが"無意識の断捨離"ではないかと思います。
中学校⇒高校に進学した時に、中学までの友達とはほとんど会わなくなりました。
当時は京セラの携帯を持っていたのですが、携帯やPHSを持っている人はあまり多くなく、SNSも発展しているわけではなかったので、断捨離というより疎遠といった形で友人関係が移りました。
大学に進学してしばらくしてから、嫌がらせの電話がかかってくるようになりました。どうやら誰かが私の電話番号を何かしらの掲示板に晒したようで…(苦笑)
出会いたいおじさんからの電話が気持ち悪い上に着信拒否してもキリがないため、電話番号ごと変更しました。
この時にすべての人に新しい連絡先を送らなかったのです。当時はmixiもありましたし、「必要があればどこからか連絡してくるやろ」くらいの気持ちでした。
何百件とあった電話帳の登録が80件くらいに減った時にすごくすっきりして、そこから人間関係の断捨離にハマったのかもしれません。
SNSの断捨離
熊本に住んでいた時に、"完全にとある人達に無関心になる事件"があり、その際にFacebook以外のあらゆるSNSを辞めました。
mixi、Twitter、はこてんパラダイス(麻雀専用のSNS) etc...
怒りではなく、「もうどうでもいいや」と思い、悲しさすら越えたのは初めての経験でした。辞める時に「Facebookは継続するよ」と宣言して、アクションがあった方とFacebookで繋がるようにし、大事な関係は繋げていくことに。ある意味これも人間関係の断捨離です。
なお、"とある人達"とは未だに連絡をとっていません。狭い世界に住んでいるのでバッタリ会ったりしたこともありましたが。おそらく今会っても名前思い出せないかも(顔は思い出せる)。
"嫌いの先は無関心"
と心から感じた私にとって学びの深い出来事でした。そして、この時から「人への期待」や「汚名返上」ということに興味がなくなったのです。
この事件は、私の弱さと傲慢さも要因で、私が成長できる経験だったと今でも思っています。
私の心が「この先の人生には存在しなくても良い方々だ」と思うと、スッと冷めてしまうんです。
ライフスタイルに伴う断捨離
熊本に10年間住んでいたのですが、結婚を機にバンドを辞め、麻雀仲間とも離れ、東京に嫁ぎました。その後、東京でサマナーズウォーというゲームのオフ会に行ったりして、東京でお友達を作るも配偶者の転勤が決まる…
神戸ではお友達がほとんどできず、職場の方々とめっちゃ仲良くなる…
離婚して大阪に引っ越してからも職場の人とばっかりだったけど、意を決してオンラインサロンへ。そこから色々とあり、転職して東京へ。
その地にできた友人・知人と物理的に離れ疎遠になっていくということが多いのです。わざとではないのですが、もしかしたら私にはそれが必要なのかもしれないと思うようになってきました。
離れても定期的に連絡を取ってくれる人、そんな人が「友達」と思っています。私は人が好きだから、その選別をその地でしたくないんだな、だから強制的に離れることで納得していくんだなって。
離婚した時は、長年使っていたFacebookも作り直し、スマホの電話帳もほぼ消しました。
私のことを理解してくれる人だけの空間にしたかったのです。
自分勝手ですが、自分らしく生きるためには私を理解してくれる人、私を理解してくれた上で諭してくれる方が必要だと思っています。
人生にはフェーズがある
生きていく中で、ずっとお友達でいてくれる人もいるけれど、すべての人がそうというわけではありません。
人間、価値観は変遷していくものだと私は思っています。月日が経つにつれ、価値観が変わり、関係性が希薄になるのはおかしいことではありません。変遷の速度も人それぞれで違うと思います。
そこで一喜一憂するのではなく、いつかまた価値観が合わさった時に、お互いに新しい価値観で話すことができたら幸せではないでしょうか。
価値観の変遷は、人生のフェーズが変わった証拠でもあると思います。冷たい言い方になるかもしれませんが、現在の私に必要な人、必要ではない人って分かれるんです。
現在、私の身の回りの人間関係はどんどん変わっていっていて、おそらくプチ断捨離が起こると思っています。おそらく、私のことを苦手になる人も増えるでしょう。逆に断捨離される側でもあると思っています。
10月くらいまで鬱々としたどうしようもない暗雲が立ち込めていたのですが、ひょんなことから雲が消えました。その代わり、完全に快晴モードで暑苦しい人間になっていると思います。あと5年で「今日死んでもほとんどの人に迷惑をかけない」という状態にすることが目標です。
そういう振り切るフェーズに私の人生が変わったのだと思っています。
さようならまたどこかで
こういうnoteを書いたのには理由があります。今日明日でスマホのほとんどの連絡先を消そうと思っているんです。連絡しようと思えば、SNSを探せば何かは見つかる時代です。本当に連絡とりたければ探せば良いだけ。スマホに残しておく必要はないと思います。FacebookメッセンジャーもLINEも少し整理します。
「もぬちゃん変わったよね」と言うされるかもしれません。この言葉の響きには、良し悪しがあります。でも、どちらでも良いと思っているんです。人は変わるものだから。
動きたくて、成長したくて、倒れるまでやりたくて、たまらないのです。根底はこのnote恒例の「死にたい」という感情からです。早く理想の死を迎えたい。その一心で動きます。私のこと怖いなぁと思う人は避けていいと思うんです。本当の意味で、(心含めて)そばに居てくれる人が居れば良いと思っています。
幸せなことに、私にはそういう友達が数人いる。私が素でいられる友達がほんの少しいてくれたら、それ以上は欲張りません。
断捨離をすればスペースができる。そうすることで新たな波が流れ込んでくる。人間関係の断捨離も同じだと思っています。捨てることで得るものもあります。
私の心から断捨離される方、私をあなたの心から断捨離する方へ
さようなら。またどこかで話せる日が来ると良いですね。
今までありがとうございました。
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