胡散臭い話

【意味】 胡散臭いとは、何となく怪しくて疑わしいこと。

twitterをはじめとするSNSやワイドショーで、政治や芸能人有名人のスキャンダル、炎上の話題を目にすると、「胡散臭い」と最近思うようになった。
胡散臭いを辞書で引くと、上のような意味になる。

なぜ、そのような話を見たり、聞いたりすると胡散臭いと感じるようになったのか、すこし考えて見た。

胡散臭い、を非常によく体現するものに、宗教がある。
ぼくたちの生活になんとなく溶け込んでいる宗教もたくさんあって、よくよく考えてみれば非科学的で、高額なお金を取って行く。死んだこともないのに、死後の世界はあるという。なんとなく罰があたったり、周りの目も気にして言われるがまま。
教祖や教典に書いてあることは、絶対に正しい。
断っておくと、ぼくは宗教を否定しているわけではない。人間はそのようなものを信じたい、頼りたいという欲求があることも事実で、科学では説明のつかないものも多いからだ。そしてなにより、それで救われることもある。

冒頭のそのような類の話は、どこが宗教と違うのだろうか。どこが胡散臭くないのだろうか。
ぼくたちの生活にはなんとなく溶け込んでいる常識や決めつけがあふれている。
よくよく考えてみれば、非効率であったり、嘘っぽかったりするのに、あるかもわからない周囲の目を気にして、それを受け入れたり、便乗したりして、さらに燃え上がらそうとしている。
自分の言っていること、自分の考えていることは絶対に正しいという、「自分教」のようなものも溢れているのかもしれない。
さらにそのような類の話には、宗教と違い救いはない。行き着く先は意味のない戦争となんら変わり無く、ただ残るのは憎悪と疲労だけ。

胡散臭いか、そうじゃないかの分かれ目はきっと、「物事を深く考えているかどうか」によるのだと思う。
発せられている言葉や現象に、本当の意味はあるのだろうか。その真意は一体なんだろうか。本当にこの世界に有効なのはなんだろうか、と考察した自分の考えや意見を持っていないと、人は民主主義によって得られた空気の流れや、簡単に反論できる感情的な方法に頼ってしまう傾向があるのだと思う。
ぼくも、あなたも。

そう考えると、自分の言っていることやしていることは他人から胡散臭いと思われていないかと、いつも胸に手を当てて考えなければならないと感じた。
決めつけやその時の突発的な感情で、物事の上っ面だけをすくうような言動をしていないかどうか、いつも自分をチェックしていなければ、簡単に周りの空気に流されて、胡散臭い人間になってしまいそうな気がする。

胡散臭いサイドに落ちないように、物事を深く考えていきたいと思う。

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