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無意識だったとはいえ…

最近の人との共通の話題は夏休みの過ごし方で、ミーティングの開始前とかエレベーターに乗り合わせた時に同僚がいると聞いている。

アメリカは今週末は長期休暇なので、それに合わせて家族とディズニーに出かけたり、海に行ったりする人もいて、近場で過ごし、夏は海外が多い。

ギリシアの人もいたし、ポルトガルとか、イタリアもいたな。

そして、昨年のサンクスギビングのあたり(11月終わり)からすでに計画を立てて、ホテルとかチケットも押さえているみたいだ。

家族の予定もあるし、子供の学校とか色々考えると、それだけ前に計画を立てるようになるんだろう。

健康そうな人ってすごいな〜、という感想を持った。

47歳になってやっと数ヶ月前から夏休みの計画を立て始めたことを喜んでいる自分のことがちょっとかわいそうになってしまった。

ただし、周りにそういう人が増えたということは、自分もきっとそういう風に活動的に、そして人生を満喫できるようになれるからだと思う。

色んなことが反転している。

極端な自己犠牲とか、人にへつらうような態度とか。

会社でも以前よりも10倍は堂々としている。メールも短い。

無意識だったとはいえ、自分の心の声を徹底的に無視して、自分を押し殺して他人に合わせてきたのは勿体無かったな〜、と思う。

特に、休むべき時に休まずに、それで気分障害みたいな状態で走り続けてきたことは、今考えると知らなかったとはいえ、ふと涙が出そうになる。

幸せになるとか楽しむことが人間にとって大切ということも本当に知らなかったのだ。

物心ついてから、44歳ごろまで私にとって一番大切なことは、家族も含む他人に迷惑をかけないことと、自分のことは無視して人の役にたちたいと無理に無理を重ねたし、自分はただいるだけでは人にも環境にも大迷惑だと信じていて、空気よりも軽い存在であることだった。

その通りの扱いを受けてきたので、引き寄せの法則が働いていたのだろう。

鼻炎と喘息で、鼻も詰まるし喉もゼェゼェして空気さえ思う存分に吸えずにいた。今は完治している。

読む人が読めばそういう必死な心境で生きることってどんな感じか分かると思う。

こういう時はあったかいミルクティを飲んだりして、ゆっくりしよう。


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