momoe hiraoka

人生の岐路で看護師として働き方を変えてきました。どの環境でも「看護は看護である」「最善…

momoe hiraoka

人生の岐路で看護師として働き方を変えてきました。どの環境でも「看護は看護である」「最善の状態に」「その人らしい暮らしができるように」という思いで看護してきたことを振り返りながら記録したい。時々、大好きな編み物やチョークアートなどのお話もしたいなと思います

最近の記事

真珠の耳飾り

    • 看護のエコー2

      エコーでも観察をすすめていくと、いろんな学びを得られた。 ・直腸内の便の性状や位置 ・バルンカテーテルの留置の確認 などなど 問診やアセスメント、経験値からケアの選択も同時進行だが、本当はどうなんだろうかと結論の出ないこともエコー機を使う前まではあった。 そして、療養者には痛みや出血・感染などのリスクもあった また、腹部の疾患によっては、見え方が違った いくつも症例を重ねて、たどり着いたことがある 推測でなく、可視化することの重要性である 「確認する」 これから

      • 看護のエコー

        2021年に看護業務の効率化試行支援事業に参加し携帯型エコー機を用いて可視化した情報から排泄ケアに取り組んだ。 事業が終わった今も携帯型エコー機を使って観察している。 従来のフィジカルアセスメントや問診、排泄状況からのアセスメントは、時に経験値に頼り、予期せぬ結果となり、痛みや出血・感染などのリスクがある。 可視化できた情報は、有効で適切にケアできる。 これを広めたい。 ケアに活かせるようになるまでは、試行錯誤もあった。 Eラーニングや実技演習で学んでもすぐには臨

        • 看護の道2

          何とかふんばった定時制の准看護学生時代、資格試験を合格したものの、中学卒業は、すぐに進学できなかった。 一生懸命しても、准看護士は看護師や医師の指示のもとで働きます。 なんだか、疲れてきて、看護をやめたくなりました。 他にも何かできることはあるのではないかと退職しました。 しかし、やりたいことはわからないまま、失業保険を支給してもらうために職業安定所に通います。そこの職員に「資格持ってるんだから、働きなさい」と。 最もです。ほかにできることもないしと言われるがままに病院に就職

        真珠の耳飾り

          看護の道の初め

          私の幼少時代は、貧乏で母親を小学性の時に亡くし、父親から早く働いて家計を助けてと言われた。同級生はみんな進学するのに、私も学生でいたいと思ってた。担任が進学できるように家に来て話してくれたが、父親は首を振ることはなかった。ある日、担任から「准看護師」の学校へ行くのはどうかと提案あった。定時制で給料も出るし、奨学金もあるということだった。まだ、学生でいたかった私は、早速、父親にその話をし、承諾をもらった。 そして、受験。合格通知をもらって担任に報告すると「よう受かったな」と。の

          看護の道の初め