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3年後に実家がなくなる私

「工場の土地を買った」

恒例の出張で東京にきた父との会食での何気ない会話。さらに父「3年後には家の土地も売るか貸すか、工場ともとに取り壊す予定」とのこと。

なんと。父が再婚したという話も同時に聞かされたけれど、へ〜〜70も近く再婚できるなんて人生夢あるな〜。くらいの気持ちで受け止めたばかりの、爆弾話。

実家ってなくなるとき来るんだな。

もうほとんどものがなくなった亡くなった兄の部屋。唯一押入れの中にある結婚式で新郎が読む親への手紙とたくさんの写真が残る。

もう2人のものはほとんど残っていない。それでも、台所で土曜の旅サラダを見ながら新聞を開く亡き母の面影がある。

廊下には友だちが来るとお菓子の差し入れをしてくれる兄の面影が残る。

「そうなんだ」としかいえなかった。わたしは実家を継いでない、家業のいいところだけを享受して大変なところは見ぬふり。

実家を離れると決めたのだから仕方ない。

実家はかつて2世帯で住んでいた。我が家は小学校の時私の家を知らない人はいない、くらいにでっかい祖父が建てた鉄筋コンクリートの家。

父がひとりで暮らすには大きすぎる。会社と住む場所変えて心機一転、空気を換えるという意味もある。

人は死んだら紙切れでしか残らないこともある。(遺品を残すことは望まないのでわたしが家族を代表して全て処分したそれはそれでいいのだ)

でも、お母さんの服はさすがに全部は捨てられないし、仏壇の前にある財布のなかの免許は平成のままで止まっている

兄のために建てられた新築の家は知らない会社に引き渡されて知らない誰かの中古ハウスになっている。

姪っ子からの、おばあちゃん早く元気になってね、と写真とメッセージが添えられたお見舞いボードは姪っ子たちがまだ小さい時のもの。母も笑っている。

すでに悲しいのに、なくなるのはもっと悲しい。
でも帰るともっともっともっと悲しい。
地元に帰ると時が止まる。ずっと悲しいまま。

わたしは前に進んでいく。2人の思い出を抱きながらわたしは私の人生を生きていく。母は、社会人がんばってね!と誰より東京行きを応援して背中を押してくれたから。

楽しいことして、美味しいもの食べて、たくさん笑っていきていく。母が応援してくれたこの今をちゃんと生きていく。

二度と住むことはない故郷。
あと3年あと何回面影に触れられるだろう。









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