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はじめまして。

たまたま行き着いてくださった方、つながりを通して来てくださった方。

ようこそ、はじめまして。

宮城県石巻市で薬膳やら中国茶やらのちいさなお店をやっております。

2002年に、まだ娘が小さく背中におんぶしながら、ひらめきとときめきを抱きながら「中国茶を出す喫茶店」の位置づけでお店をオープンしました。

当初は個人のお店がコアな中国茶を提供するお店は地方では特に少なく、よっぽどの興味を持ってくれなければ、足を運んでもらえませんでした。

ほどんど、自分の好きな世界をただ表現する自己満足のお店だったかもしれません。でも、地元のお客様がひとり、ふたりと来てくださるうち、どんどん静かに輪が広がっていきました。

中国茶と杏仁豆腐などの少しのデザートだけでは何となく物足りなくなり、ランチも出すようになり、少しづつペースを摑みはじめ、ファンもお陰様でつきはじめ、調子もついて来た頃。

2011年の東日本大震災が襲ってきました。

特にここ、石巻は甚大な津波の被害のあった地域。

そのことに関しては石巻ならず、岩手、福島などなど多方面で深刻な被害があったのは言うまでもありません。

その時の詳しい状況はここでは控えますが、その当時のお店の状況は身長158cmのわたしの額くらいまで4・5日間水が引けず、甚大な被害を被りました。

新天地での再開

しばらく店を休業することを決め、仙台へ居住を移し、新天地で偶然の出会いでよい物件のめぐり合わせがあり、「もうお店はやめよう」と思っていたものの、ふつふつとまたチャレンジしてみたい気持ちになりました。

仙台でのお店は主にお茶とデザートの販売に特化したお店を開店。

震災直後の「復活して頑張らなくては!」の妙なテンションと、自分に課した「こうすべき・こうあるべき」のがんじがらめの感覚に縛られ根を詰めすぎたのと色々な事情が相まって、とうとう大きな病気を引き起こしてしまいました。

思った以上に心身ともにダメージが大きく、今度こそ人生の休息を取ろうと思いました。

でも、ここでの人とのつながりは大きな宝で、仙台に来なければできなかったような大きなチャレンジも得ることができたし、たくさんの方との出会いがあり、今でもそのご縁を大切に育んでいますし、仙台ので日々は神様がくれたチャンスだと思ってそこに居れたことを心から感謝しています。

再び新天地での休息時期

手術、身体の落ち着きを経て、栃木へ住むことにしました。

息子が栃木の大学に入学したとはいえ、親戚も知人もいない知らない土地、栃木。

栃木では、生活のための仕事もふつうに雇用される形でゆっくり無理のないペースで働きました。

栃木での生活は緑多き風景、優しい人々、風土に癒やされる日々。毎日が楽しくて、新鮮で。心から人生の休息時間を満喫しました。

この先の人生を考える時期

自分でもわたしの人生ってちょっと波乱万丈だなって自覚しています。

いろんなことがあったけど、やはりわたしには帰る場所がある。

いつも直感と赴くままの感覚であっちこっちと行っていたけど、石巻へ帰ることを決めました。

そして、震災に遭ったあの場所を立て直して再開することを計画し始めました。

栃木に居た約4年。 

たくさんの出会いの宝ものを得た場所。こうした流れになったのもすべて良き運だったと思います。

大好きな土地になり、あの風景と、あの人達の笑顔と離れるのは胸が張り裂ける思い。だけど。

地元でまたしっかり根を張っていこう。そして、わたしの子ども達が生きていくのに今考えられる一番よい方法を準備しようと思いました。

そんなことを経て、2017年に元の場所でお店を再開し、嬉しい笑顔にお会いできる幸せな日々。助けてくれる仲間や友人達にも感謝。

そして、今、これからの人生を考える。

歳はだいぶ重ねたけれど、まだまだ興味は尽きないことばかり。

ついつい癖の「波乱万丈」があるかもしれないけど、それはそれでよし。

できる限り、いつも最善の方向へ。

無理なく、ゆっくり。自分の人生もまぁるく生きられるように。

今後ともよろしくお願いいたします。


いただいたサポートは、今後のnoteに生かすための経験や他のクリエイターさんたちへのサポートに回して行きたいと思います。