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東京育ち。写真家。 momoyago.com

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四月はじめに緊急事態宣言が発令された。昨年末から数ヶ月、ルームシェアをしていた友人がタイミングよく、移住予定だった地方に向けて無事に旅立っていった。見送った朝は、暦では<清明>で清明らしい朝だった。 緊急事態宣言が入って数日は、本当に家から出ずにのんびりと家で過ごした。それから、近所の商店街に買い物に出かけた。人はいつもより少なかったけど、お店はほとんどが空いていて、時々豆腐を買う豆腐屋さんも花屋さんも開いていたし、居酒屋がいくつか閉まっていたり、飲食店がテイクアウト対応を

    • 初盆と死後の世界

      お盆を迎え、私は山形の出羽三山に向かった。出羽三山は、羽黒山、月山、湯殿山からなり、古くから信仰をあつめ、今も人びとと暮らしとつながる場所だ。 2011年の大震災の年に、仕事のご縁をいただき、出羽三山に行き、その奥深さや山の清らかさに驚き、震災後の混沌とした気持ちのなかで惹かれるるものを感じ、仕事の機会も含め幾度かこの地を訪れた。 今回は、その時以来、気がつけば7.8年ぶりだった。 出羽三山は、羽黒山〈現在〉、月山〈過去〉、湯殿山〈未来〉とし、三山を巡ることは、死と再生

      • 満ちてゆく月と暑さのなかで

         74回目の慰霊の日、細い月が浮かぶころ、私は東京の自分の家にいた。テレビもラジオも付けてなかったけど、広島の夏空とクマゼミの激しく鳴く声も、式典で流れる楽団のメロディーも鐘の音も私には聞こえた。8時15分を迎えると黙祷をした。  震災の一年前か二年前か、とある方から、紹介していただいた被曝医師肥田舜太郎先生。戦中軍医として広島に赴任、広島陸軍病院で働きながら戦争の厳しさを感じていたころ、市内から往診のために向かった村で迎えた朝、空にかっとまっ白に光る閃光を見て、焔の熱さが

        • 梅雨明けと許し

          長かった梅雨がようやく開けた。梅雨時に道端で出会う草花やしっとりと落ち着いた空気感がいつからか好きで梅雨を好ましく思うようになっていたけれど、この長い梅雨の終わりごろはさすがに私の身体も重く、暖かい太陽が待ち遠しかった。梅雨の終わりのようやく太陽の現れた日に、お日様を感じながら、手を伸ばし胸を広げ、大きく大きく伸びをした。本当に気持ち良かった。そして、今、汗を流し、身体が動いてくるのを感じて嬉しくなっている。 一年前の今ごろ、母は一月あまりの入院から退院できたころだった。6

          夏至の日に

          夏至は、一年でいちばん昼が長い、陽の気が強い日。いつからか、私は季節の節目節目に、日の出や日の入りを拝むようになった。 そのきっかけは、まだ学生の頃、皆既日食を見に海外のガイドブックにも乗らないような土地に旅に出て、皆既日食を見たことが大きいように思う。草原の続く丘の上に座り、太陽の前に月が重なり地球の上に立つ自分と一直線になる瞬間、太陽は黒く、輪となった光を放ち、空には星々が広がった。私は、ミクロでもありマクロでもあるその一部であることを感じ、大いなる奇跡的なバランスのな

          夏至の日に