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視覚処理 vs 聴覚処理

ラジオを聴くことにはまっている。

ラジオ = 聴覚処理

対して、スマホを触ってる今は視覚処理優位だ。

テレビなんかは、視覚と聴覚の両方から情報を得ている。


ラジオの聴覚的な刺激を考えてみると、いろんな要素が絡んでいる。

音楽聴こえてくるのは、声?音楽?自然の音?雑音?

その音程、音色(おんしょく、ねいろ)、声色、スピード、音の高さ、声の高さ、テンポ、ゆらぎ、間、単音なのか重音なのか、短調なのか長調なのか、不協和音なのか、遠い音か高い音か

好むか好まざるか、聞いたことがあるのかないのか、わくわくするのか悲しくなるのか……


まだまだ要素がありそう。おもしろい。

耳だけ、聴くだけ、といっても、こんなに情報処理をしているんだな。えらいな私。えらいな私の頭(笑)


そういえば、

小説 vs ドラマ

どっちが好きか。

よく実写化!とか、ドラマ化!映画化!とかしてるじゃないですか。(急に読み手に話しかけてみる。笑)

私は前者の小説が好き。自分のイメージ力を使うのが好き。

あ、そうか!聴覚のみの刺激が入る「ラジオ」は、視覚情報がない分、視覚的なイメージ力を使うんだ!!

ラジオは、聴覚→視覚イメージ、小説は、視覚→視覚イメージへの変換があって、ちょっと経路は違うけど、

他の感覚を極力使わず、シンプルな感覚入力でその感覚に意識を向けるのが心地よいのかもしれない。(とはいえ、本のページをめくっている時点で、「触覚」の刺激が入っているのですが。笑)


今、日常生活には視覚的な刺激があふれ、視覚を完全にシャットダウンすることはできない。視覚だけに限らず、情報過多ともいえるこの生活の中で、時折、感覚をシャットダウンしてみる時間があってもいい。なにかの感覚シャットダウンすれば、他の感覚が研ぎ澄まされる。たくさんアンテナをはるのもいいけど、他のアンテナを片付けて、一つだけを長く伸ばしてみる。今まで気づかなかったことに気づけるかもしれない。



読んでくれてありがとう♡