「可哀想」ってなんだろう
無事に就職活動を終えて、毎日引きこもってるインドアガールです。私は今までも、就活中も、「子どもたちの幸せに貢献したい。可能性を伸ばしたい」と思って生きて来ました。突然ですが、そう思うようになった経緯をここに呟ければなと思います。
みなさんは誰かに「かわいそう」と言われた経験はありますか?
私は中学、高校生の頃によく友人や大人たちから言われていました。理由は「味覚嗅覚障害」。原因不明で物心つく前から現在も、味と匂いが一切しない世界が当たり前でした。その分食感が敏感になったみたいでメーカーが違う食べ物だと嫌だったり、超偏食。食べられるのは10種類くらい(カレーとかオムライスとか子どもが好きそうなもの😂)(外食先や事情を知らない人との食事の際は気合で完食してます!笑)
機能していないと知ったのは小学生高学年の時。理科の実験で薬品の匂いを嗅ぐ授業がありましたが案の定私は分からず、「全然これキツくない」と言うと担任の先生が疑問を覚え、先生の勧めで病院に行って初めて発覚しました。そこまで分からなかったんです。
病院でいろんな検査をして、原因不明で終わりました。私としては正直「偏食になった言い訳ができた」と嬉しかったのを覚えています。幼い頃生死を彷徨った経験から、両親もそこまで深刻に捉えませんでしたが、周囲は違いました。
「味がする。匂いがする」それが当たり前
友人や大人たちに話しても中々理解してもらえず、たくさんの人に「かわいそう」と言われました。
思春期の私にとってその言葉は、「欠陥人間」そう感じた瞬間でした。
自分の価値を下げて、欠陥人間なんだと悩み、どうすれば同情されないのか模索して生きる日々でした。
あれから何年も経って今は自分の一部で個性だと受け入れられています。偏食は相変わらずで外食や海外に行った時は食事が苦痛ですが、なんとか耐えています。
私が「子どもたちの幸せに貢献したい。可能性を伸ばしたい」そう思ったのは、これから未来を生きる子どもたちが「かわいそう」と言われて思い悩み自分の価値を下げてしまうかもしれない。同じ思いをさせたくないから。
もちろん中には「大変だね」と言う意味を込めて、心配しているワードとして言ってくれる人もいました。でもそうじゃなくただ多用している人がいたのも事実です。
私にとってはこれが当たり前の世界です。世の中には片親だったり、ハンデを抱えていたり、いろんな事情を持つ人がいると思います。そんな人と出会った時、自分の中の「普通」や「当たり前」にだけ照らし合わせて、それ以外を「かわいそう」と表現してしまうんじゃないかな。と思いました。
「じゃあなんて言えばいいの?」
ごめんなさい。私自身まだ他の言葉に出会えていません。
まとまりのない文章になってしまいましたが、言われることで傷つく人がいる。実際に言われたことで悩んでいたからこそ、経験や気持ちを発信しようと思いました。
捉え方や言われた言葉への感じ方は人それぞれだと思います。HSPだから人一倍正直に受け止めすぎたのかも知れません。「かわいそう」と言われることで傷ついた人がいる。そう知ってもらえればな。と思います。
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