お空に見送った第二子。

悪阻でしばらく更新できないままに、大切な大切な第二子はお空に帰って行った。

それは11週に入った頃の妊婦検診のこと。

総合病院で初めての妊婦検診。慣れたはずの診察台に登り経膣エコー。

本当なら先生がしばらくモニターを確認したのち、「お母さん、赤ちゃん元気に動いてますよ」と言われるはずだった。

でも何かおかしい。第一子の時よりもエコーの時間が長い。そしてカーテン越しに別の先生を呼んで何やら話をしている。

そしてしばらくしてカーテンを開けてモニターを見せられ「赤ちゃん、元気に動いてはいるんですが…わかりますか?身体の周りを覆うように膜があるんです。」

たしかに赤ちゃんが二重に見えるようなもやっとした膜が。

診察台から降り、先生が初見を話されたのちに「胎児水腫」と指摘された。
胎児水腫とは先に述べたように赤ちゃんの全身にむくみが見られる状態。
先生曰く「この場合は病気が潜んでいて、お腹の中で亡くなる可能性が高い」と。
最初は“可能性の話でしょ…?”なんて思ってたけれど、先生の真剣かつ残念そうな目を見ていると“ああこれはダメなんだ”と思って涙が止まらなくなった。

この日は平日のため実母に家に来てもらい長男を預けて1人で通院したために、1人で混乱と悲しみに襲われながら、お会計待ちの間も涙が止まらないまま…

帰路にて夫に電話をし全て話した。夫は冷静に聞いてくれて、少し落ち着き。

自宅に着いたときは息子の前で泣きたくないから元気を装って母に報告。母もとても心配してくれた。

その後、勧められるがまま専門機関で検査をしてやはり難病を抱えていることが確定。※検査に関しては後に別の記事にて。

この場合ほとんどが胎内で亡くなってしまうこと、そしてもし生まれても自己哺乳も出来ない状態で1歳までに9割が亡くなるとのこと…
本当に悲しくて悲しくて家で号泣。
それを見た息子も一緒に泣き出して、私の涙を拭うように手を伸ばしてくれて。夫も辛いはずなのに、元気つけるためにいろいろ気を遣ってくれた。

それからは少しずつ覚悟を決めるように、受け入れられるように過ごし…

そしていよいよその日がやってきてた。
コロナの影響で面会も立ち合いも出来ないために1人で入院し、既に12w(4ヶ月)を超えているので“出産”という形で次男とお別れをすることになった。本当コロナが憎いと思った。


そういえば、胎児水腫と言われてから2回不思議な夢を見た。
1回目は診断の2日後に、1歳前後の小さな子供が出てきて。
その子は危ない崖のようなところをぴょんぴょんと渡って行ってしまい、私は追いかけたけど追いつかない、そんな夢。
ちなみにその子が名乗ってくれた名前を第二子につけた。
この時は性別わかってなかったのにしっかり男の子の名前で。実際に第二子は男の子だった。

2回目は病気が確定した後。
私はとても綺麗な風船を持っていて、強風が吹く中その風船が飛ばされないように必死に掴んでいる。そしたらまわりの友人たちが「いっそ手放せば楽になるよ。」と優しい声で言ってくれて、パッと手を離すと強風は止み風船はふわふわとまっすぐ空に上がって行った。

どちらも次男からのメッセージだったのかななんて勝手な解釈をしている。


約100日間お腹にいてくれた次男。
何かと出産をするために処置をして怖くて痛くて辛かったけど、最終的には痛みもなくするっと生まれてくれた。

12cm/25gの小さな小さな身体。ちゃんとお顔も出来てて、お人形のような小さな手にちゃんと指が一本一本あって可愛かったな。

そして後日火葬をして本当にお空に帰っていった我が家の次男。
本当に本当に悲しくて辛くて言い表せない感情に包まれたけれど、大好きな夫と長男と共に見送れて少し落ち着いた。

戸籍には残らないものの、私と夫にとって大切な大切な我が子に変わりなく、次男として家族の一員であることは事実。長男にとっても大切な大切な弟。

いつかまた戻ってきてくれたら嬉しいな。

今度は元気いっぱいな姿で生まれてきてね。この腕にしっかり抱きしめたいよ。

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