見出し画像

元彼鎮魂歌のたっちゃんについて。推しを推す視点より

はじめに。
この記事は、舞台『元彼鎮魂歌〜モトカレクイエム〜』の感想記事から独立して作成したものです。
作品の感想、また他キャタクターやキャストさんについては元記事をご覧ください。
ミュージカル『元彼鎮魂歌〜モトカレクイエム〜』キャラクター及びキャスト感想、追記

ここでは大類たっちゃんのオタクがX(Twitter)の考察を更に深掘りし、書ききれなかったことを書いています。推しを推すオタクの視点が大変多く含まれております。ご了承ください。
真面目な考察が半分、オタクの与太話が半分くらいです。

飯田たっちゃんは未鑑賞です。本来なら比較して考察したいところでしたが…申し訳ない…何か考慮するべき情報などあればお知らせください。随時ゆる募。
あらゆる面でほぼ真逆のタイプの方かなと思われるので、おそらく全く印象が違ったんだろうなと。飯田さん版を見ていれば、よりスムーズに、かつクリアにたっちゃんの本質を見ることができていた気がする。

記事内では既視感という単語が頻出しますが、これについては各場面の中で説明します。
もしかしたら…だけど、2人のたっちゃんが真逆ほど違うタイプなら、その言動から受け取れる印象は変わるはずで、例えばこの記事で話しているのとは全く逆の可能性もあるのかなと。


たっちゃんとは

作品の主人公であり会社の後輩であり婚約者であるゆきなを振って、社内の共通の友人美樹とスピード婚する、色々と行動がアレなキャラクターです。ゆきなからはたっちゃんという愛称で、美樹からは本名の竜也で呼ばれているため、記事内でも場面に応じて名前を書き分けています。
ゆきなとは年単位で付き合って同棲していたのに、美樹との結婚は急ぐんだなぁ…うん…

アラサーのゆきなの先輩なので、設定年齢は30代半ばくらいかな。豊洲の新築3LDKの長期ローンを組めることから考えても、大体それくらい?
(この記事における)中の方よりもだいぶ若い。凄。
サラリーマンとしてはそこそこ安定した収入があり、優秀なのだと思われる。

たっちゃんの出番はトータル約2時間15分の作品の中で10分ほど、ざっくり数えると6つの場面のみ。
そのわずか10分の間に4パターンも衣装がある。舞台上での滞在時間は少ないものの、その分色々な時間を行ったり来たりしているということになります。
ゆきなを主軸に見たストーリーの、要所要所を抑える役割と言えますね。

とりあえず記事に関連する自分の感想を埋め込んでおきます。
内容がだいぶ被っておりますがご容赦ください…これらのポストをより詳しく掘り下げたのが本記事です。見なくても問題ありませんがご参考までに。

公演5日目の感想
たっちゃんをざっくり捉えた感想。
2人のゆきな、2人の美樹との比較。

楽日の2日後の感想
たっちゃんの各登場場面。
少し考察あり。わりと長め。


大類たっちゃんの衣装について

アーバンだけど無難な選択、洒落てはいるけどあまり自分の色が感じられない服装。これはどこか浅いところのある性格に通じる、とX(Twitter)で書きましたが…

普段は大人しい色合いを基調とした私服で、無難なお洒落を感じさせるデッキシューズ。
仕事時は上下黒無地のスーツ、レギュラーカラーに青の地のネクタイ。
この服装についてもだいぶムダに深読みですが、ちょっと考えてみる。

私服は3種類ありますが、どのコーデにも白シャツが使われている。ひとまずこれをキャラのアイデンティティだと考えることにします。
よく言えば順応性がある。悪く言えば自分を持たない、周りの影響を受けやすい。
ゆきなといるシーンではずっと無地ベージュと白を合わせた淡め基調だったけど、最後に美樹と歩いてくるシーンではチェック柄と白の、濃色が目立つコーデに変わる。
時の経過を表現しつつ、この色合わせの違いは完全な心変わりを意味しているのかな。

幻覚なのかそうでないのかあやふやな後半の2シーンでは、白シャツを一番上に羽織っている。アイデンティティらしきものが一番上に来ている。視覚的印象も含めて、現実と幻の境界線上の概念という感じでしょうか。

仕事着の上下黒スーツとレギュラーカラーは、言うなれば無難の二乗。ちなみに身内曰く、ワイドカラーの方が絶対着こなせるし似合っているのに、とのことでしたが、そういうところも含めてのたっちゃん像なのだと思う。基本的に無難を選ぶ性格。

ゆきなに手渡すのが黒一色の傘というのも、不穏といえば不穏なのかもしれない。フォーマル感のある男性用と言えばそれまでだけど…でも傘だけでなく、スーツも鞄も革靴も黒。黒比率がやたらと高いのは気になるところ。
ネクタイの青の色の意味も面白いです。冷静、平和、信頼感。ビジネスの場ではそういう演出をしたかったのだろうな。皮肉が効いている。

と、このように書きましたが…でもどの衣装も結局似合ってしまっているんだな!
たっちゃんの性格を反映してはいるものの、それでもおおよそにおいてわかりみが過ぎる、嗚呼。
スーツに愛されすぎじゃないですか?仕事用の正装が似合うというのはとにかく強い。強すぎる。抑え目でありながらこの強さ。


たっちゃんの各場面について

登場をざっくりカウントすると前半3、後半3の合計6シーン。

①冒頭。美樹の立ち合いの下、ゆきなと別れる
②回想。ゆきなとの馴れ初め
③体調の悪い美樹

④上手の独白。回想。ゆきなと住んだ三茶の家
⑤お堂の幻。回想。プロポーズの話の後、亡霊と化す
⑥ラスト。美樹との外食でゆきなの前に現れる

それぞれの感想と考察をざっくりと。

①冒頭の登場シーン

たっちゃんがゆきなに一方的に別れを言い渡し、なぜこうなったのか訳が分からず否応なく物語が始まる。この当惑で既にゆきなの視点に引き込まれる。上手い。
ゆきなと美樹とたっちゃん(竜也)が同じ場所に集合するのはこの冒頭とラストの2箇所のみ。後述しますがこの2箇所の比較により、リピート時はこのシーンの見え方が全く変わってきます。美樹と竜也が仲睦まじく去っていく様子をまるで強調するようにはっきりと描くのはなぜなのか。おそらくこの描写がラストの事実に繋がっているからだと思う。


②雨の日のシーン

突然死ぬオタク。理由は衣装の項で書いた通り。
傘を後輩に譲り、自分は雨に濡れて帰ろうとする。それは惹かれても仕方ない。
(思ったけど、生活圏が街中だから後でいくらでも調達できるというのもあったのかもしれない…)
半蔵門線と有楽町線が重なることから、おそらく会社の最寄りは永田町駅かな。三茶とも直通だし、カフェモンネクスがある渋谷とも繋がる。
歓楽街の赤坂が徒歩圏内だとすると、やたらと陽キャな社内の付き合いも分からないではないかな…地域柄というか。遊び方にお金の余裕が感じられる。
メトロ以外の選択肢は何だったんだろう。それによって永田町の南北どちらなのかが分かるので、だいぶ場所が割れそう← 多分関係ないと思うので余談ですが、有名な怪談話、番町皿屋敷の舞台がすぐ近くにあります。

回想の終わりの推したっちゃん、行き先を指差して劇中随一の爽やかな笑顔を見せるんですよ。でもこれはあくまで思い出の中の情景。
ここの場面の台詞は後で出てくる三茶の2場面と同じく、「らしくてわかりみが強い」だった。後に悪い意味でそれが効いてくる。


③美樹とのシーン

食品が入った買い物袋を、床ではなく一旦自分の荷物の上に置く優しさ。傘のエピソードともどこか重なる。色々気遣っているのは分かる。しかしここで違和感を感じさせる言葉掛けがちらほらと出てくるようになる。
おみくじにも書かれている「絶対(に)良くなるよ。俺がついてる。ずっと」とか「もちろん。愛してるよ」等。これは空気を読んで発している言葉だな、と分かる言い方だったと思う。どこか手探りが含まれている感じ。
一見良いことを言っているけど、心から出ているのかというとそうではないような…Xでは取り繕っていると書きましたが。状況が状況なので、不安というのもあるのかもだけど。
全体的に、分かるといえば分かるけど、あまり見慣れないかなと思う言動が多かった。
ゆきなといる時とはだいぶ雰囲気が違う、というのを観る度に感じたシーン。わかりみが強い3シーンと比較すると、「……誰?」と思うくらい話し方が違う気がする。ざっくり言うと「男性はこうあるべき」の像を感じるというか。

美樹の寝ている布団から子どもが出てくるのは見たままの意味だと思っています。おそらく子どもがいるから具合を悪くしている。
更にゆきなが祟られた時に怨念がその子に取り憑いてしまい、恐ろしげな形で現れ出ることになってしまった。葵上の出産時に出現する六条御息所の生霊が元のモチーフなのかな。


④後半始まってすぐ

上手側での独白、竜也(たっちゃん)が自分の心の内を語る唯一のシーンですが、どうもここで言っている幸せというのは、これがそうなのだという理想を自分自身に言い聞かせているんじゃないか、という印象でした。主観500%ですが…自虐的なプレッシャーから話し始めていることからして主体的な選択というより、おそらく美樹の意向。
結婚式への張り切り方と、新居の選び方、この2つには何か似通ったセンスを感じるし。同情はできないが少しだけ気の毒にはなる。
この語りから想像される生活とその後のゆきなの妄想は対照的で、愛情アピール重視のふわふわしたゆきなではなく、物質主義的な美樹とくっついたんだな、というのがここで分かる。

一旦地理的考察。
美樹との新居を構える豊洲はゆきなが利用していた有楽町線だけど、それを気にしないということは方向が逆なのかな?
となるとゆきなが元々住んでいたのは池袋埼玉方面か、もしくは乗り換えで分岐するどこかの地域?
かつて同棲していた三茶は半蔵門線利用のたっちゃんが住んでいた地域ではないかと思う。おそらくゆきなが生活圏に呼ばれたか、もしくは押しかけている方ということか。

ゆきなの妄想で展開される三茶の家での2人。ここはかなり当て書き成分強めでは?と思うほど、台詞がとても自然で、既視感の詰め合わせだったように感じました。全体的に、とても見慣れた安心感というか。
台詞について少し踏み込んで書くと、「え何」「これ〜〜感じ?」「〜から!(頻出)」「ここはあれね、三茶の家ね」「〜じゃないでしょ」「ちょっどこ行くの?」辺りが特に…なんだか聞き覚えがある気がある…(台本に圧倒的感謝)それ以外にも色々と既視感を感じたような…あくまで一オタクの感じ方ですが。

タツノオトシゴの真意は何とも言えないところですが、少し特殊な生き物といいますか…
自力で泳ぐのが得意ではなく、普段は何かに掴まって生活している魚。つがいの生態にしても自立の正反対かなと思うので、いずれにせよ依存を思い起こさせるワードではあるかな。


⑤ お堂で見る幻

プロポーズの話の回想。
台本で、いやこれ天才では?と思ったのは、ゆきなの会話の切り出し方とそれに対するたっちゃんの応答。「ねえたっちゃん」「ん?風呂冷めちゃうんだけど」のやり取り、舞台上では特に背景はなく立ったままさらっと話し出しているのですが、状況説明が上手すぎるし、同棲生活の解像度が高すぎる。
1日の終わりの時間帯、おそらく部屋で寛いでいる時の会話だとわかるし、2人が当時どのような仲なのか、前のシーンで出てきたベランダと併せてどんな部屋に住んでいるのか。そこから窺えるおおよその生活のステータス。このさりげない台詞に含まれる情報量がとんでもなく多い。天才。

一つ前の三茶の回想と同じく、既視感から来るわかりみが強い場面でした。
突然のオーバーリアクション、指輪ケースの茶目っ気、言い聞かせるような会話の締め方。
これらは既視感云々を抜きにしても、すんなりと微笑ましさが伝わる場面だったんじゃないでしょうか?

ここまで書いてきたように、ゆきな視点の大類たっちゃんはオタクにとって非常に見覚えのある描かれ方が多かったんですね。これまでのお仕事等々、デフォで目にしてきた光景ととてつもなくシンクロしていた。
が、しかしそれらの情景はあくまでゆきなの回想の中で繰り広げられており、劇中の現在進行形ではない。怖い。怖すぎる。
このシーンがいわば気づきポイントでもあったと思うのですが、2人が最も幸せだったと言っても過言ではないこの場面をピークに、状況はどんどん悪い方へと転がり落ちていく。

軽い呼びかけから始まり、その後は返答を確かめるように投げかけられていた声が舞台上の肉声に変わり、ぞっとするような声で「一緒に帰ろう」と言い放つ。最初は探り探りだったのが応答を求めるようになり、最後は有無を言わせないトーンに変わる。変化していく声もすごいですが、幸せ極まる回想が挟まれることで更に地獄みが増す脚本もお見事。

M10。お堂でサイトウと対になる場所に立つ無表情のたっちゃん。祓うものと祓われるべきもの、現世と幻の対比。もう執着してはいけない存在になってしまっているんだな…というのが目に見えて伝わる場面。
ラジオで話しておられたのは多分ここの事ですかね?


⑥作品のラストシーン

吹っ切れたはずのゆきながなぜラストであれほどパニックになったのか。
最後の「二人…?」というセリフから考えてみる。

ゆきなにずっとまとわりついていた双子の正体は、よりによって好きだった人とその浮気相手の子どもだった。しかも別れる前、あるいは別れた直後、既にその2人の間に子どもは「いた」。
デキ婚だったのかは微妙なところだけど、どっちにしても紙一重の差ではないかな。時期的には。
いくら諦めたとは言っても、好きだったという気持ちが消えた訳ではないので…こんな現実を目の前で見せつけられたらそれは正気ではいられないよね。とりま自分はそう解釈しました。

別れ話の時点では、ゆきなは子どもがいた(あるいは早々にできる)とは思っていなかったんだろうな。だから復縁の可能性を捨てられなかった。
美樹という邪魔者が入ったのは事故であって、自分とたっちゃんの間にはちゃんと愛があったのだと、そう思っていたかった。
M11とM15で、こんなに苦しいのは好きな人との別れを受け入れられないから、自分と向き合うことを逃げてしまっているからと、問題を見つめ直し、一旦は解決したように見えた…けど。

ところが現実はもっと悪く、ゆきなが思っていたよりももっと早くにたっちゃんは裏切っていた可能性が高いし、なんなら数ヶ月苦しんだゆきなとは逆に、早々に切り替えて美樹と親密に暮らしていた、ということになる(観客である自分たちはそれを知っているけど、ゆきなはラストでようやくそれを目の当たりにする)
つまり、ゆきなとたっちゃんの間の愛の深さや重さは明らかに違ったということ。
観客側からするとまあそうなんだろうなと思わせる描写は多々あったけど、それでもこの最後の一撃は大きい。
ゆきなの中では、かつての記憶にある優しさだったり、育んできた愛情であったり…そうした綺麗な思い出が全てガラガラと音を立てて崩れていっただろうな。
だいぶ解釈を広げているけど、ラストのあの叫びはそういう心境だったんじゃないかなと想像しました。

このシーン、本当に2人はゆきなたちの前にいたのかな。豊洲からの外出にしては距離がありすぎるし、わざわざ奥渋まで来るだろうか…
もしかしたら時と場所を隔てて、ゆきなだけに見えていた光景なのではないかな。③で書いたゆきなの生霊の原理と同じで。

以下はオタクの体験を改めて説明する形になりますが。ゆきなの視点ではどこか見覚えのある情景を描き、どこか身に覚えのある感情を圧倒的説得力で歌い上げることで同じ視点へと巻き込んでいく。一方美樹とのシーンで徐々に違和感を与えていき、最後は主人公と同じだけの絶望を与える。感染系ホラー。
ゆきなの言動に身に覚えはありませんか、自分だけの理想に囚われていませんか、現実を見ていますか?この話は他人事ではないんですよ。という風刺が、ここまでひしひしと感じられる役がかつてあっただろうか…ない。

役の中にメタ視点が入るというのは、これ自体はよくある。私も好きです。
でも大類たっちゃんの怖さは、観る側も含めての包括的なメタになっていた点。メタと感じる度合いは各々で差があったかもだけど…

ちなみに子どもの亡霊が2人に増えるのは、一卵性の双子だからかな…あえて辻褄を合わせるなら。グレイディ・ツインズに進化してからが真の本領発揮、という見たままの意味もあるとは思いますが。


オタクによる推し語り

(今作の公式資料に準拠する範囲での言及です)
大類幸一さんですが、これまでは全年齢向けハートフルコメディ路線がメインの役者さんかな、という印象でした(※超要約)その時々で繊細寄りか大胆寄りかの性格の違いはありましたが、どちらかと言うと、素直さが前面に出ているというか、自然体をそのまま役に繋げられるというか、そういうイメージですかね。
あくまで個人的な意見ですが。

少々特殊な経歴の方だと思います。
今回の公演でも、端々に特殊さの片鱗が見えていた、かもしれない…
ざっくり言うと遅咲きタイプかなと。

前回ご出演の『DOPE MEN』では、おはぎ役で2段階にわたってのギャップの演出があり、もう1つのモブ役で更なるギャップが加わるという贅沢さでしたが、今回はそれとはまた違った複層的なエグさというか、次々と表面化する容赦のなさというか…
あくまでサポート側だから、と当初は甘く見ていました。すみません。

今回の「人は良いけど実はあまり主体性がなく、結局主人公を裏切る軽薄な優男」という何とも俗っぽくビター、大人向けドラマの一人物ともいうべきキャラクターは、全く新しい役柄でしたね。

だいぶ虚構に振り切っている、でもその中に前述のメタのような妙なリアルさがある。
その揺さぶり方がなんともクセになるキャラだったなぁと。

淡々とした穏やかさとはっちゃけギャグの両立、というこれまでによく見られた性質も生かしつつ、多面的で考察しがいのあるキャラに仕上がっていたと思います。
あくまで自分にはそう見えた、という話になってしまうけど、初見からずっと心がざわつくような感じがあって、分解していくとこういうことなのかな、と思った次第です。
これはしばらく引きずるやつ…

あと、何気にトンデモな初要素が盛り込まれていましたが…そう、知る限りでは今までなかったんですよ…よもやこうした形で初めて目にすることになるとは…それがしあわせである側とそうでない側がいる、という描かれ方なので、二重性にあまりにも心抉られる。褒め言葉です。

それはそうと、変わらずにずっと美人でいらっしゃいますね。この変わらなさは凄い…あと声の張りも健在で何よりでした。声がとても好きです。
自分の場合、外見より先に声の印象というか、喋り方から入った部分が大きいかもしれない。願わくばこの強みをより広く、より深める形で生かして頂けたら良いなと。
なおオタクは今後もずっと同じことを言ってます、多分。ポジティブにこの先が楽しみです。
個人差はあるとしても、美しさに年齢は関係ないと思っていますので。歳月を味方につけられる、そのポテンシャルは十分にお持ちかと。
さてどうなるでしょうか。

これは個人的な覚え書きですが。カテコ、前列の一人一人の礼に対して後列から都度笑顔を向けておられたのと、全力にっこりで手を振り最後に一礼して捌けられていたので、ああよく知るスタイルに戻ったな、と思って毎回見ていました。あと回によっては子役さんを気遣っていたり。
キャラはわりとひどいのにカテコで推しを推せるフィルターが戻ってきてしまうので、毎公演ごとに振り出しに戻ってしまう(以下エンドレス)

ところでチェキなんですが、絶妙にゆきな視点を思わせる構図が混在していますよね…?
鑑賞後にこれらが手元に残るのはあまりにもえげつない。褒め言葉です。終わってからも抉ってくる仕様。
それはそうとこういう雰囲気のコーデで屋外ロケ+俯瞰構図のフォトブックをいつか作ったりとかしませんかどうですか。単なる願望ですが、かねてからの夢です。観劇関係ないな!

あ、あと今回とても嬉しかったのが、ネットニュースへのお名前掲載と、ラジオ形式の音声放送へのご出演ですね。
(一応、公式と呼ぶべき場に映像があったりはしますが、知る人ぞ知るなので…)
様々な苦難に遭われたと思いますが、それらの荒波を乗り越えて公の場にどんどん出てくださっていることを、心から嬉しく思っています。

一個人としての存在がより幅広く共有されてほしい。今まさにここにいる、と。
それが一オタクの願いです。

いつかこのnoteを見返して、あの時はこう思っていたんだなという自分の記憶の呼び起こしになればいいな、ということで書き残しておきます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?