覚えていてくださる方がいたら

誰のことでもなく、自分だけのことを書きます。
随分書いていないですが、覚えていてくださる方がいたら、読んでくださればと思います。

わたしがnoteを始めたのは、コロナの流行するの少し前のことでした。
ずっと「友だちが欲しい」と思っていました。
出かけたら写真を送ったり、お土産を買ったりする。病気のことも話せる。子どもの話もできて。趣味が合って、情報交換ができたり。
悩みや愚痴を聞けたら、それくらい親しくなれたら。
ネットなら物理的なハンデや距離をこえて、そんな友だちができるかもしれないと思っていました。

何かを書き始めたのは、コロナ流行の真っ只中。なんだろう、noteはすごく盛り上がっているように見えました。
世の中全体、ネットでできることが充実していったような気もします。
だから、思ったんです。何か書いたら、つくったら、仲間に入れてもらえるかもしれない。
でも、もともと書きたいことなんて無かったのだから、またひとりになるのかなと焦るばかりで次第に書くのが苦しくなりました。

ちょうど心身の病気も悪化して、noteをやっていたこの5、6年は入退院を繰り返しました。PTSDや解離性障害もひどくなりました。そんな状態だから、友だちができるどころか、ひととの距離感が掴めず、苦しむばかりでした。書いたことで誰かを傷つけていたこともあったかもしれません。ほんとうのことはわからないけれど、親しくなれそうだったかもしれないひとたちもどんどんやめていきました。

noteはクリエイターの街。
友だちを作る場所ではなかったし、わたしはクリエイターではなかった。
だから、シンプルに書きたいことがなくなりました。誰が拾うかわからない大海原に瓶を流してまで書きたいことなんてない。まして、虐待やいじめで、言葉の刃の鋭さを知る自分にとって、誰かを傷つけてまで言いたいことなんかない。これはあくまで自分のだけのことですが。

病気は治療を続けています。自分ではよくなっていると感じないですが、noteをやっていた頃と違うことはわかります。目に見える世界だけでいい。わたしの痛みも傷も、わたしだけのもの。

ゆっくり過去記事を消します。書いたことを引っ込めるのは、言葉に責任を持っていないことになるのかなと思う時もありましたが、今は消してしまいたい。
でも、続きを読みたい物語があり、応援したいひとがいるので、アカウントは消しません。ただ、黙っておこうと思います。
お世話になった方へ、ありがとうございました。