ボウキョウ第6話 感想note
ようやくです。順に公開していく予定です。
いくら「過ぎ去った」といったって、すべての出来事は地続きにある。
「過ぎ去った」と言いたいのは、思いたいのは、その出来事を直視できなくて、背を向けたい自分なのかもしれないなあと思うことがあります。
わたしだけでなくて、あぁ、充希もそうだったのかな、なんて考えながら、第6話、読ませていただきました。
出来事は、幾通りも、とらえ方があります。同じ出来事でも全く違うものに感じられるほどに。
だから、わたしたちは話さなければいけない。話し合い、聞き合う。
そんなときほど、自分の話す言葉は輪郭をなくし、言い方は曖昧になるし、相手から聞く言葉は尖っていて、言い方は暴力に感じるかもしれません。
そして、伝えたい何かを、お互いにこころにしまいこみ、悶々として。
もしも。言葉や言い方といった表現にとらわれず、みんなで話し合い、聞き合ったら、そのときが「存在しなかったはずの物語が生まれる」分岐点になるのではないでしょうか。分岐した後に語られるものの良し悪しは決められないのだけれど。
第6話では、何人もの登場人物が話し合い、聞き合っている様子が描かれています。波のように押し寄せてきた過去の出来事の中でもがいていたことを、それぞれの口で話し、それぞれの耳で聞いています。
親と子。過去と未来。人様の目と自分のこころ…すべてをここには挙げないけれど、価値の置きどころってほんとうに様々。
感情が沸き立って、こころを揺さぶれても、互いに向き合おうとしている一家族の物語が、また家族の中のひとりひとりの物語が、ここを通って、動き出す様子を感じられました。
「あたし、実は……」
次に語られるのはなんだろう。物語とともに感想noteもまだまだ続きます!