ボウキョウ第10話 感想note

望まれる感想は書けていないかもしれないけれども。

もともと充希の物語だから、充希の回想が多いのは当然なのだけれど、終盤に入って、充希の記憶の描写がとても多く感じられました。
記憶の欠落について、最近、わたし自身も病院でいろいろ訊かれ、知る機会があったのですが、つらく苦しい出来事があったとき、防衛反応としてヒトは該当する出来事の記憶を忘れることがあるそうです。
充希が、こんなにも、たくさんのことを「忘れた」ことにしていないと、生きてこられなかったんだと思うと、物語だとわかっているはずなのに、胸が痛みました。
学校での出来事、お父さんとの喧嘩、ノノとの思い出、感謝の作文。震災のその日に真司と出逢ったことまでも。チクチクを超えて、ズキズキ痛みました。

記憶から続く、絶望が呪いに変わるという描写。
わたしにも覚えがありました。なんで、どうしてをぶつける先がはっきりどころかどこにもなくて、理不尽に呑みこまれて、「みんな不幸になればいい」と叫ぶ。あぁ、それはわたしだ、充希はわたしでもあるんだ。そして、第9話のあのひとも。
現実の震災について何も知らなかったわたしがこんなふうに感想を書いていいのか、わからないけれど、とても他人事とは思えませんでした。絶望するときも、呪い、叫ぶときも、自分たちだって苦しい。空を掴んではもがいている。

記憶の中の充希は、真司のことを最初から自分と違うように言うけれど、真司だって、充希の知らないところで、絶望して、呪って、叫んでいたはず。そうだとしたら、違ったのはその後に通った道。通る道が違っても、辿り着くところが同じなら、ひととひととは一緒にいられるのかもしれません。

手際の良い伏線回収とハッピーエンドへの甘い誘いを感じて。ハッピーエンドはひとの願いなのかもしれないなと思うようになりました。
出来事は出来事であって、それにどんな色を塗るのか。出来事の後にどういう道を通るのか。ハッピーエンドの決まり文句「みんなしあわせに」を願い、祈り、そして進むんだ。願いが叶うといいね、充希。わたしも一緒に願っているよ、ねえ、真司。