ボウキョウ エピローグ 感想note

おーしーまーい!!!あーりーがーとー!!!

故郷って、なんて素敵なのだろう。

読み始めて、最初にそう感じました。
どこかと比べても「この風、この空、この緑には勝てない」と言い切れる故郷があるって、うらやましい。生まれた土地でそのまま暮らしていたわたしは、故郷と言える場所がなくて、学生時代は、故郷のあるともだちをうらやましく思っていました。「田舎だから」とか「何もないし」とか口では言いながら、みんな、どこかうれしそうに帰省していく。生まれた土地とは限らないけれど、故郷と思える場所があるって素敵なことなのだろうなと思います。

だからこそ。あの日、あの瞬間、あの出来事で故郷を失ったひとたちになんと言葉をかけたらいいのか、ほんとうはわたし、ずっとわからないでいたんです。この感じ、思いをなんと表現したらいいんだろうと迷っていました。

当事者意識…とは違う気がする。なろうとしても、わたしは当事者になれない。当事者のひとたちの全てを知り、同じに感じることなんて到底できない。
だけど、他人事にできない。少しだろうと知ってしまえば、感じてしまえば、それ以前の自分には戻れない。凡人のわたしでも、何かしなきゃ、何かしたい。そう願わずにいられないんです。

この感じ、この思いを表現したくて、何度も物語に入ったり日常に出たり。その度に浮かんだのは、自分の中の既知とは違う出来事への戸惑いや驚きを感じたときと、自分で見ようと、自分で向き合おうと意を持てたときの「これはほんとうにあったことなんだ」でした。文字にすれば同じなのだけれど、響きが違う。声に出すと全然違う。

当事者になれなくても、他人事にしたくない。
「これはほんとうにあったことなんだ」と繰り返し語り、繰り返し頷く。
離れた点同士を線で結ぶように、「ほんとう」と「ありえない」を物語で繋いでいく。物語と現実。当事者とわたし。昔とあのときと今。みんな繋がっている。西山実里さんのように、体験を語るひとが繋いでくれている。
だから、亡郷が望郷へなっていく今を、これからを、自分で感じて、いつかどこかの誰かへ繋ぎたい。
忘れないでいる、忘れないでいたいという願いの姿が、少しですが、見えたように感じています。