ボウキョウ第9話 感想note

だめだめな感想文もラストスパート?かな?

そうそう、そんなんだよね。
「都合の良い解釈」からの「自己嫌悪」ってほんとうにほんとうに出口が遠い。それだけでなく、足取りが重くて、歩みも遅い。誰かが「こっちこっちー!」と手を振ってくれていたって、ほぼ気づかないし、気がついても返事ができるかできないか、くらい。第9話を読ませていただいて、わたしも、ついついその道を通りがちなので、充希もそうだったのかな、なんて考えていました。

だけど、物語は待ってくれない。
「昨日はごめん」「充希のきもちを聞きたい」と言ってくる母。
「時間がほしい」と出かけた先で鉢合わせした父。
お互いに向き合って話す。充希もそうしたいと思っていて、真司が背中を押してくれても、やっぱり勇気がいる。うんうん、わたしもそうだよと、いつのまにか、こころの中で充希に声をかけながら読んでいました。
前半は真司を推し、後半は充希に自分を重ねてしまう。こんなにもふたりに親しみを持ってしまう。親しみを持てたり、身近に感じたりするような人物像を作るために、それなりの量の描写を小さく細かく積み重ねていく、そんな頑張りをしているだろう書き手の方にはいつも感心してしまいます。

なんて、呑気に感心している場合じゃなかった…

ラストスパートは急展開!
記憶って、なんて、穴だらけなのだろう。
健忘なんて起こらなくても、ひとの記憶は穴だらけなのかもしれないなと思いました。
忘れたいように忘れて、覚えていたいように覚えている。
こう書けば、ずいぶん「都合が良い」ように感じられるかもしれませんが、都合なんてつけたくてつけているとは限らない。
充希のように、理性か何かでこころの最深部に抑え込んでいるのかもしれません。あれやこれや、いろいろあって「死ねばいい」が選べないから、なんとか生きるのに「都合が良い」ように。

抑え込んでいた理性を超えて、自分の外側にこころの最深部の何かを漏らしてしまったひとは、「悪い」ひとなのでしょうか。
そんなひとのことを、「悪い」だなんて、わたしじゃ決められない。ほんとうに「悪い」ひとはいないのかもしれないと思います。たぶん、物語の中だけではなくて、現実でだって。
読み終えて、ミトさんの中の性善説が自分の背中をさすってくれたように感じられた第9話でした。