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「守教」帚木蓬生「沈黙」遠藤周作

「守教」(帚木蓬生著)と「沈黙」(遠藤周作著)
キリスト教弾圧の歴史は450年余続いた。
その時代を縦軸に隠れキリシタンの生き方を横軸として
この2つの物語は始まる。

まずは「守教」
1570年 一万田右馬助は大友宗麟の命を受け
筑後高橋村の大庄屋となる。
右馬助と麻夫婦には子どもがいなかった。
捨て子だった男の子を養子とした。
その養子を米助と名付けた(後に平田久米蔵となる)
この村にパードレー・アルメイダは私財を投げ打ち
信仰とは神への愛、全ての人への愛、自分を聖なるものとして
高めよと布教に努める。

右馬助は感動し周りのものへ その教えを広めてゆく・・・
キリスト教弾圧は激しくなってゆく。けれど この村は弾圧に屈せず、
400年後も消滅することはなかった。
一方「沈黙」の信者は神に問う。
「なぜ あなたは黙っているのか?」
その問いに踏み絵の中のあの人は
「踏むがよい。お前たちに踏まれるために私は存在している」
あなただけが私の心を分かってくれればよい 
「沈黙」の神は<神と私の関係>であるが、
「守教」の神は<神と村社会全体の関係>ではないか?

踏み絵も前者では痛みを伴うが、後者では
村の共通認識(心の中は誰にも分からない)に
支えられ負担は軽減されたのではないか。
「沈黙」のキチジローもこの村でなら、
生きやすかったのでは?

●こんな本も読みました。
・奇跡の村 佐藤早苗
・死海のほとり 遠藤周作


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