現代の聖徒

モーゼでもパウロでもない、ダビデが当てはまる。エデンの園を出る時は、不潔な神々に仕えていたが、イスラエルの神に戻る。モーゼ 出エジプト記は闇への跳躍、神と合いする時、または、洗礼の時。5年で地上の楽園に来る。レビ記、民数記、申命記、ヨシュア記、士師記を経て、結婚する相手と重なる。洗礼の前に、聖ペテロと会う。苦難を通じて精霊は来るのだが、結婚相手を見つける時は、星を仰ぎ、私の場合は聖徳太子と鴨長明が現れた。エレミヤ書は7年間の捕囚となり、脱皮していくことになる。7年間で体が入れ替わる。誘惑は避けられない。自殺は意味がない。逃げられないと言う状況に置かれて、天に向かう。地上の楽園で義認、その後、復活祭でキリストに会う。その前にもキリストは助けてくれたが、キリストの声を聞かないとだれも信じられないが。三位一体はあまり具体的に解き明かし難いもの。復活祭で神から全権委任され、聖霊がまにまに導く。哲学的に言えば、ダイモーンが導く。その日その日任務が与えられ、先のことを言えば、神秘主義と言われるから、神に委ねる。神が死んだと言うならその人にとっては死んだのだろう。神なしの秩序に何ができるか?自力では無理だ。永遠なるものというものがあり、加ったり離れたりして人生を導く。日本では厄年というのがある。時期を失せず、仏教ではなく、キリスト教に入って欲しいと思う。

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