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存在は存在したい

存在は存在したいが為に存在する。

無が根源であるならば、

無は存在したいが為に存在を作り出した。

存在する為には、

観るものと観られることが必要となる。

存在する為には、観て、観られることが必要不可欠なのだ。

観て、観られることにより、存在感は発生する。
そして、観て、観られた瞬間に無に帰する。

観て、観られることを瞬間瞬間に繰り返し、瞬間瞬間に存在しては無になるという循環を繰り返している。


存在する為には「存在感」が必要だ。
存在は存在感を得る為には手段を選ばない。

あらゆる「感」を駆使して存在を維持するのだ。

「感」無くして存在は存在し得ない。

あらゆる「感」

悲しみ、苦しみ、虚無感、喜び、感謝、孤独感、死にたいという感覚さえも

存在は存在したいが故に「感」を駆使するのだ。


何かを感じている。
それは存在しているからだ。
存在は感じたいのだ。

感じないと存在し得ないから。


あなたは今何を感じているだろう?

何を感じていたとしても、

それは存在するからなのだ。

存在は存在したい。存在感を得たい。

「感」はイコール「存在感」なのだ。


感情を受け入れるとその感情はなくなるというが、
その感情の存在をそのまま受け入れ、認めたからなのだ。

観て、観られて、無に帰するのだ。


無視は存在していないことを意味するので、無視された存在は存在感を得ようと増幅するのだ。


さて、ふたたびの質問。

あなたは今何を感じているだろう?

何を感じていたとしても、それは存在するからなのだ。

全ては存在したいのだ。


全てにオッケ〜!その存在、確認いたしました〜!!


ということの真骨頂が

感謝 という 確認方法である。

知らんけど。

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