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〜と呼ぶことにしたモノ

今しかないのに

時間の経過を認識できて

音楽を音楽と捉えられるとか
話し言葉を言葉として捉えられるとか

上記って時間経過によって認識可能なコンテンツだよね。

実はこういうことの方が奇跡だと思うだよね。


当たり前を本当にそれは当たり前なのか?

ってみてみると面白い。


不思議な事ばかりだよ。


概念の世界に居続けていると
当たり前と当たり前じゃないことが
いつの間にかひっくり返っちゃうんだよね。


わたし達は
何も知らないし
何も知れない
よね。本来…。


わたし達が
忘れ去っていている事はね、

全ての言葉の後ろに


「〜と呼ぶことにした」

っていうのが省かれていることを忘れちゃってるね。
見事に。

「太陽を見ると目が眩しい。」これって、

太陽(と呼ぶことにしたもの)を見る(と呼ぶことにしたこと)と目(と呼ぶことにしたもの)は眩しく(と呼ぶことにしたこと)
感じる。


って本来いうところを
「と呼ぶことにした」を省略しているんだよね。

で、それを見事に忘れ去って現実だと思い込んでる。

ストーリーを生きているってそういうことですね。

生のデータを見れなくなっちゃってるんだね。
いつも生のデータは解釈に隠されてしまっている。

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