書くこと

文章を書くことは昔から好きだったな。小学生の頃とかはよく全国や県のコンクール賞で貰っていた気もするけどそれは当時も今も自分にとってはどーでもよくて、自分の体験や感じていることをできるだけその同じレベルで人に手渡したいという気持ちが強かった。こぼれないように、薄れないように、純度高く感度高く。そういえば、小学生の卒業文集は確か何時間ぶんの授業を使って、書いては先生に赤入れしてもらって直してを繰り返して完成していってた。あのときも私は1回書いた時点で赤入れされた箇所はほとんどなくて、満足げに思うまま書いた初回の文章が自分の最高のものだとかんじていたし修正箇所はないしで卒業文集の授業はその後ずっと暇だったのを思い出した。今思えば私は自分の作文に赤入れされることはほとんど無かったけど、それはたぶん自分の感度高く感じたことを純度高く伝えたくてたまらないということが、溢れていたからだろうなとおもう。文法とかテクニックも考えたことはなかったけど、興奮して書いた文がたまたま「倒置法」になっていて笑、みんなの前で「ももこちゃんのこの文章に使われている技法を倒置法と言います」とか紹介されたりしてた。なんか書きながら思い出したりしてきて、なつかしい。体験を映像で記憶しているから今も自分の心のなかのビデオテープ棚から引っ張り出してきて味わう、ということができる。

大人になって、感じたこと考えたことを書く、文章にする、言葉にするということがほとんどなくなった。タスクとか資料とかは作るけど。私にはもっと言葉や文章にすることが必要な気がする。伝えたいことはもちろん、人に伝える必要がないことも自分のことは自分がよき理解者でありたいなとおもう。そうしたらたぶん、内側が強く在ることが出来て、外に大きく左右されなくなる。人のスピードとかやり方とか。評価はもともと気にしてないくせに、自分の観点で気になることは実はこっそり気にしたりする。あとは、変わっていて理解されてないのかな?とか。でもそれも、自分をもっと知ることでなくなりそうだ。自分がなぜそれをやっているのか、それは何を考えたからか、そう考える自分の価値観は何か。

楽しくなってきた。まだたくさん書きたいことがある。営業とは、幸せとは、根っこ、とか。

私の文章をかわいいとか、好きだよとか、書いてみなよとか言ってくれる人たちに背中押してもらい、はじめました。小学生時代のももこみたいに、マイペースに思うままに書いていこかな。