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政治に光明の一筋

 高市早苗、第100代内閣総理大臣。

 この一年、閉塞感しかない日本社会の中で、迫りくる総選挙において支持すべき政党や候補がないという大問題に悩む有権者は多かったのではないでしょうか。

消極的選択肢としての自民党も今回ばかりは難しいと感じる抵抗感の中で、現在の知名度や政治的影響力の大小に関係なく、少しでも期待を寄せることができる政党を探すことへの困難と諦めの気持ち。

世界が極左化する中で、日本の伝統に基づく善良な市民生活を求める国民の選択肢だけが全く見つからないという、驚くべき政治的空白を目の当たりにし、日本社会の現実に対する絶望を感じた一年です。

来たるべき選挙を、布陣の如何に関わらず菅内閣のままで臨んだ場合には、自民党史上稀にみる歴史的大敗が確実なものという確信的空気がある中で、有権者としての政治選択はどのようにすればよいのか、投票しない、白票を投じる、あるいは有権者としての義務を果たすことのみを全うするために、結果を顧みずに望むべくもない政党へ一票を投じるという究極の選択を行うのか、悩ましい日々が続きました。

野党諸党にとっても、野球でいえば相手投手が自ら崩れて満塁からの連続フォアボールにより得点を重ねるように、消極的選択という捨て票を拾い集めて大躍進するという、濡れ手に泡の試合展開が確実視される状況です。

9月に入った時点で、自民党は、10点差のまま九回裏2アウト走者無しの状況に追い込まれていたといえるでしょう。抜け出せない泥沼の連敗の中の完全なる負け試合です。

その状況は、日本国チームのファンたる国民にとっては、解決の糸口さえ見えないコロナ騒動を中心とした、失われた暗黒の時代が更に長く続くことを予感させる暗雲たる状況です。

九回2アウト走者無からの逆転

 最終回大量得点差のついた確定的な負け試合の中で、一振りで試合を振り出しに戻すばかりか、断トツのリーグ最下位から一気に逆転優勝へ導く選手が存在するなど想像したこともありません。

しかし政治的には初打席のわずか一振りで、総選挙において究極の負けチームとなることが決定的であった自民党を、確かな勝利に導く希望のホームランを放ったのが高市早苗です。

9月8日の総裁選出馬会見を視聴した際に、驚きと感動を隠せませんでした。

政治家が国民の前で本来あるべき姿がどのようなものであるか、今までほとんど経験したことがなく、それ故にフィクションや潜在意識の中にしか存在し得なかった姿を具現化した人物が目の前に存在したからです。

その瞬間、この政治家が今正に国民の代表になるべきだという強い確信が芽生えるのを感じました。それはおそらく、有権者となって以来約30年間の中で初めて経験する感情です。

会見が進むにつれ、暗闇の中にハッと浮かんだ一縷のかすかな光が、短い間に確かな希望の輝きに変わるのを体験しました。

支持政党も政治家も持たない個人が、国政においても地方行政においても今までずっと続けていた消極的選択ではなく、特定の個人が代表を務める政党に対し期待を持って積極的に投票したいという、今まで味わったことのない政治的感情が直観的に湧いてきたのです。

日本の閉塞的な危機的状況を、もしかしたら本当に変えることができるかもしれないという一縷の希望、一週間前には想像さえしなかった政治への前向きな期待感です。

それは政治信条や個々の政策といった、イデオロギーや実益に対する共感や期待感という以前に、政治家としての立ち居振る舞いや、これまで積み重ねてきたであろう活動の真摯さに対する期待と敬意に裏付けられたものです。

イチかゼロかの選択

 高市総裁の自民党か、それ以外か。

次の総選挙では、そのようにはっきりとした国民の選択軸になるでしょう。自民党にとっては、高市自民党であれば復活勝利の可能性が、それ以外であれば歴史的大敗が現実のものとなるのは避けられません。

唯一の勝ち筋が見えたこの重苦しい局面で、自民党自身がその光の一筋を読み切ることができるのか、あるいは見えた上で実際にその手を打つことができるのか、間もなく始まる自民党総裁選挙の行方に注目です。

初の女性総理の誕生が、前向きな日本の転換点となることに期待します。

ではまた次回。


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