キロク①病気の兆しはたくさんあった
2023年春。娘が入院した。
病名は「急性骨髄性白血病」
10歳にして、大きな闘いを強いられた娘と
そして、その娘を支える私のキロク。
実は、今思えば病気の兆しはたくさんあった。
ただ、言えるのは「今思えば・・」ということだけ。
誰かのなにかの役に立つかもしれないので、
まとめておきます。
病気が発覚する5ヶ月前の10月。
秋ころにふと娘の唇が白いことに気づいた。
こんなにも白かったっけな・・・
夏の日焼けが残っているのかな・・・
そんな風に思っていた。
12月、家族全員で新型コロナウイルスに感染。
娘の症状は少し熱が上がっただけで軽症だったが
一人目の感染者の濃厚接触者から、自身の感染で
長く自宅隔離が続き、体力がガタンと落ちた。
そして、年が明けたら足が痛いと言うようになった。
整骨院→整形外科→総合病院。
紹介状をもらって様々な病院に行くも
骨は正常。筋肉は固くなっているのでリハビリへ。
そんな診断だった。
温めたり、マッサージしたり、痛み止めを飲んだり
痛みを逃がす日々。
気づけば、3学期はほとんど体育の授業を受けずに終えた。
歯茎の色も紫に変わっており、
これはもう小児科で診てもらうべきか
年齢的に婦人科に行くべきか、悩んでいる頃
発熱した。今思えば、「幸いにも」と付け加えたい。
普段通っている小児科ではなく、
少し離れた発熱外来を受け付けてくれている小児科へいった。
PCR検査をするため、マスクを外した途端
先生が「貧血がひどすぎる、血液検査するよ」と
PCRの陰性結果を待って血液検査。
自宅で血液検査の結果電話を待っていると
思いもよらない電話がかかってきた。
「大きな病気の可能性があるので
いま総合病院の紹介状を持って看護師が家に向かってます。
救急車を呼んでいるので、準備しておいてね」
と。
数ヶ月前、整形外科で受信した総合病院に緊急搬送され
1時間後に先生から口から出たのは
「急性骨髄性白血病の疑い」
疑いとつけましたがほぼ確定です。と。
そこから私達の闘いが始まった。
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