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鹿児島に到着

鹿児島空港に到着しました。はじめて訪れる地です。
九州には中学の時に修学旅行で福岡・大分・長崎・阿蘇に来て以来です。
鹿児島というと西郷隆盛・若島津・長渕剛・哀川翔ぐらいしか思いつきません。幼い時の記憶に父親がザボンを買ってきたぐらいです。
空港を出ると、マルサ工業の佐藤社長と春日主任が出口に迎えに来られていました。
もみの木ハウス・新潟から山田さんも来られるとの事で空港出口で待ちます。でてきたのが大男だっ少し引きます(汗)
第一印象は「でけ~」
この時点で、もみの木ハウスは鹿児島と新潟に二社あったことになります。
初対面の方々ばかりなのでその時点では全くどのような方々なのかはわからず、これからどうなるのかさえも想像がつかなかった記憶が今も頭の片隅に残っています。
健康な住まいづくりの会の九州に参加させていただくことになります。
二か月に一度ホストの会社の建築現場や完成した家を見学させていただくとの事です。
この時のホストが、もみの木ハウス・かごしまのちにもみの木ハウス協会の代表理事になる
Yがやたらに仕切りたがっていることを覚えています。やたらに言うセリフが「もみの木はいいケン」です。何のが良いのか説明してみろと自分は心の中で繰り返します。
自分にはもみの木も木の中の一種類にしかすぎないとぐらいにしかとらえてはいませんでしたから、本当にこの木の凄さを感じ取ることが出来ません。
そんななか会がスタートします。各社完成現場を見学します。自分が見るのは見るのは仕事の腕でした。今思うと穴があったら入りたい。
大工一筋で事務所を店舗に新しくオープンしたところでしたのでこれからどうしたいのかは「木が好きだから」で漆喰と無垢材の家を夢中で建てていたころです。そこを調べ上げてYがやって来たことはもっと後になって気づくことになります。
「自然素材の家」「天然素材の家」の文字に導かれるままそこを極めたいと仕事を展開していた時だったので、もみの木がなかなか心に響かない!!
他の健康な住まいづくりの会の会員さんにの目には自分はもみの木に向かない人間つまりは「✕」な人と見られていたことでしょう。
人に見られていることなど全く眼中にはなくただただ自然素材の家で天下を取る夢物語しか見てはいませんでした。
そこから考え方が変わっていくのには時間と衝突が繰り返されていきます。
もみの木に導かれて鹿児島に来たという事実に気づかずに時間だけが無情に過ぎていくことになります。
壮絶な駆け引きになることはこの時点では全く知る余地もなかったからです。

つづく

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