第五話
弥幸はバイトから帰ってくるのが夜中なので、星陽が先に寝ているベッドに後から潜り込んで眠ることになる。ベッドでイチャイチャしたい希望がある星陽は弥幸が帰って来るまで起きておこうと思うのだが、どうしても、知らず知らずの間に熟睡してしまっている。
お前はしなくて良いと弥幸が言うのでバイトはしていないのだが、代わりに大学でも剣道部に入った。それで運動しているというのもあるかもしれない。
今住んでいるアパートは大学まで電車一本で行けて、頑張ればチャリでも通える。風呂トイレ別で洗濯機置き場付きの脱衣所もあり、1LDKのリビングダイニングと部屋がフローリングで繋がっている。その間にはすりガラスの引き戸だけで壁がないので、引き戸を開け切ればかなり広いワンルームになる仕様だ。住人は社会人夫婦がほとんどなのだから、ここの家賃はそう安くはないのだろう。それで忙しくバイトをしてくれているのはわかるのだが。
…なんか、期待してた理想とは違うんだよな。
星陽は掛け布団の中をゴソゴソと移動して、向こう向きで眠っている弥幸の背中を目指す。辿り着くとそのままピッタリ抱きついた。
朝のこのルーティンで何とか弥幸をチャージしてるのだが、実際にはもっとチャージしたいものがあるわけだ。
だって1ヶ月だぞ。
一緒に暮らし出してはや1ヶ月なのに、キスから全く進展していないとはどういうことだろう。
部活で発散するのにも限界があるし、同棲しているのにソロ活動というのも虚しいものがある。
バイトも全然するのに。
夜中に叩き起こしてくれても構わないのに。
もう俺が襲うぞと思いながら、チャージが過ぎて抑えが効かなくなりそうになった星陽は弥幸から離れ、朝食の準備に向かった。
…やばい、朝から襲うところだった。
そんな朝の星陽のルーティンを、実は弥幸は毎日知っている。でもこれから1時間後くらいには大学に向かわなければならないのだから、そういうことになだれ込むわけにはいかないじゃないか。
生活時間が合わないなあと思う。
思うとか言ってるがそんなもんじゃなく、実際は無念で仕方ない。
一緒に暮らすなら家にいる時間を増やしたいと思った弥幸は、去年よりバイト自体は減らしている。だが仕事時間が短くなるなら時給を高くしなければならないので、必然的に夜からのバイトが増えた。
まだ1年なので授業がたくさんある星陽は1限から4限までしっかり授業があり、その後部活をして帰ってくる。すると帰宅時間は夜7時くらいだ。
弥幸は3年で授業があまりないので朝から昼までは割と暇なのだが、夜にバイトが入っているので7時にはもちろん家にいない。友人とのルームシェアなら程良いすれ違い具合なのだが、恋人となると問題だ。
弥幸は夜のルーティンがある。
バイトから帰って来たらすぐに部屋を覗き、眠っている星陽を確認してから素早くシャワーを浴びる。それからベッドの余っている方に入ると、枕と首の間にそっと腕を差し入れて腕枕のようにし、ハグかバックハグで抱き枕にする。しばらくそうしているとだんだん抑えが効かなくなり叩き起こして襲いそうになるので、そうなる寸前で離れて背中を向けて寝る。
一緒に住んでいるのに、何なら前より歯がゆいぐらいだ。
と悶々と考えながら布団に潜ってると、星陽がドカドカとやって来て布団を剥いだ。
「朝だ!大学だ!起きろ!朝飯を食え!!」
「起きてる、起きてるって!耳元で怒鳴るな!」
部屋を出てゆく星陽の背中越しに見えるテーブルには、コーヒー、食パン、サラダ、果物、加えてスープのちゃんとした朝食がある。
…朝飯いらないんだけどね。
今まで食べていなかったのだが、他ならぬ星陽が用意したものだ。顔を洗うと朝食の席につく。
いつもちゃんと手を合わせて「いただきます」と言ってから食べ出す星陽の斜向かいで、何もつけない食パンに齧り付きながら
けど、こいつと食べると美味しい気がするんだよな。
と、弥幸は人生で初めて、食べ物に味がある気がしている。
別にこいつ、朝イチに授業があるわけじゃないんだよな。
出かける準備をしながら星陽は思う。
何時に帰って来るか知らないのだが、弥幸はいつも星陽に起こされ一緒に朝食を食べ、一緒に大学に登校する。
玄関で靴を履きながら
「もう出るぞー」と部屋に声をかけると、背丈に合わない居住企画に少し身をかがめながら、弥幸が玄関に出て来た。
「相変わらず柄悪ぃ」
「たまには褒めろよ」
いつもと同じような弥幸が同じように部屋から出てきて、いつものように2人揃って大学に出かけられる毎日は幸せだと星陽は思う。だから最近何となく、お前がいるなら留年しても良いしと言っていた弥幸の気持ちが分かる気がしている。
一緒にいる時間を増やして、先に進みたいんだよな。
並んで歩く2人の気持ちは同じだ。
だが口に出さないので、お互い知る由もないのだった。