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第二話

 倉庫なのかなと思うくらい生活感が全くない部屋の段ボールの上で、セイヨウは英語の教科書を広げていた。
 相変わらずほぼわからない。が、全くわからないではなく、ほぼわからないになった頑張りは褒めて欲しいと思う。
 なんと、あんななりで、公園の男は有名私大の学生だったのだ。しかも名前が「千金楽弥幸」とだいぶ立派だ。

 玄関のドアが乱暴に開く。部屋の主の弥幸が帰ってきた。
「おう少年、勉強してたか?」
早朝にバイトに行き昼に家に戻り、またバイトに行っていたのが帰って来たようだ。
「むっちゃしてたわ。こんな段ボールの上でよ」
部屋に入って来ながら言う。
「大体、お前が悪いんだろ。定期テストの問題用紙と解答用紙さえありゃ、傾向と対策がわかって教科書全部なんて勉強しなくて良かったのによ。1枚残らず捨ててるとか信じらんないわ」
「捨てんだろ、あんな魔法の呪文みたいな紙。印刷してあるからメモ用紙にも使えねえし」
はあっとため息をつくと、段ボール横にドカリと座った弥幸が少し向こうの紙袋に腕を伸ばす。引っ張り出したチュッパチャップスがチョコバナナとコーラだったのを見て、セイヨウが好きそうなコーラを渡してくれた。

 渡してもらったコーラ味を舐めながらセイヨウは思う。
 …優しいんだよな。
 英語だけが壊滅的に悪いだけで成績自体はそこまで悪くなく、生徒会で副会長をしていて部活動でも戦績を上げているセイヨウは推薦で弥幸と同じ大学に行けそうだということになった。ただ、英語があまりにあまりなので、せめて5以上にしろと学校から言われたのだ。
 そういうわけで、来れる日はこの家に来て、現役大学生の家庭教師つきで英語を勉強している。弥幸は1日3回くらいバイトに行くがその隙間時間にわからない所を教えてくれ、自分は永久にガムと飴しか食べないくせにセイヨウには腹の足しになるものを何かしら買って来てくれる。
そして、付き合っている相手が家に来ているという状態なのに、全く手を出して来ない。

 これじゃただの英語の先生なんだよな。
 もちろん英語を勉強しに来てはいる。だが、恋人の家に一日中いるのだ。何も期待しないというわけにはいかない。
 つか、期待するも何も、こいつ家にほぼいねーんだよ。
 寝転がり、銀行の預金通帳を見ている弥幸に聞いてみた。
「お前さ、なんでそんなにバイトしてんの?」
 飴の棒を咥えたまま、通帳から目を外し天井を見る。
少し待つ時間があったので何か意外な答えが返ってくるかと待っていたが
「…金が好きだからかな…」
と、何の捻りもない答えが返ってきた。
「くっだんねえー。ためて話すほどのことかよ」
やれやれと英語の教科書に目を落とそうとすると、半身起こして弥幸が言った。
「俺にとっちゃ結構重大問題だよ」
声が意外に真剣だ。
「ムカつく話するぞ。俺は昔から、努力しなくても何でもできるんだ。授業聞いときゃ勝手に内容が頭に入るし、こうやれって言われたらスポーツもすぐに人並み以上にできるわけだ」
「うっわ、ムカつくわそういう奴嫌いだわー」
セイヨウから反射的に出た言葉に、はいはいという表情をする。
「でもな、満足感も達成感もない生活なんて、果てしない空虚なんだぞ」
弥幸は、今度はしっかりとした口調で続けた。
「だから金が好きなんだ。仕事したらしただけ増えてるのが目に見えるだろ」

 一応最後まで聞いてみたが、色々なことが努力せずにできるのはやっぱり普通に羨ましい。
「まー、そういうこともあるのかなって思ったけどさ。凡人の俺にはわかんねーわ」
言いながら、こっちもさっぱりわからない英語の参考書を意味なくパラパラとしていると、そのページが手で押さえられた。
「大事なのは、その俺が今人生で初めて努力もしてるし忍耐もしてるってことだよ」
弥幸は残った手でセイヨウを指差す。
「それが誰のためなのか、一生覚えとけよ」
言うとその指でそのままデコピンをし、弥幸はニヤリと笑った。

 力強えーから普通に痛いけど。
おでこをさすりながら、ふと気づいたことにセイヨウは頬に血が上る。
 こいつ、今、一生って言ったよな?

英語の定期テストは全部捨ててしまう星陽

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第三話〜弥幸✖️星陽

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