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むしろ、喧嘩したい

人と人が関わるとどうしたって疲れるから、疲れてしまうということ自体はスッパリ諦め受け入れた上で、その疲れがポジティヴなものかどうかをわたしは大事にしています。

それと同じで、わたしは喧嘩するということ自体をあまり悲観していないというか、嫌悪していなくて。全然違う個体と接するんだからそりゃあらゆることが全然違うし、違うことが嬉しくないときもあるし、互いの性格によっては「喧嘩」という状態を引き起こすのは当然過ぎるくらい当然のことだろうと思っているのです。まあ主にわたしの性格のせいかも。喧嘩、割とする。

あ、喧嘩すること自体を嫌悪してなくても、喧嘩している時のテンションは普通に最低ですよ。最低なんだけど、わたしが最も嫌なのは、喧嘩をすることではなくて、仲直りができないことなんですよね。仲直りって本当悲しくなるくらい難しいし、今更先生に無理矢理握手させられて仲直りなんてできないけれども、だからこそ、「喧嘩しなさそうか」ではなく「仲直りできそうか」が人と交流し続けたいと思う基準になっているなと、最近気づきました。

だからね、それを確かめたいからむしろ、喧嘩したいのです。全く嫌じゃない喧嘩するの。

……こういうスタンス故に「戦闘民族かよ」と言われたのかもしれないですね。これに関しては1年9ヶ月ぶりの気づきだ。

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