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「『なんでもない』ってわざわざ言う」

つまりはこれ。野花紅葉です。

「好きの反対は嫌いじゃなくて無関心」みたいな言葉をよく聞きます。わたしは「いや好きの反対は嫌いだろ別に」と思いますが、視界に入っている、脳や心を侵されている時点でそれは自分に無関係なものではない、というのはその通りだと思います。

一応もう大人だし、例えば主宰なんてまあ超社会性必要だし、好きな人に嫌な気持ちになってほしくないし、人と関わっていく上で思いがけない軋轢や意図しない対立を生むのは避けたいし。そう思うと、「まあいいや」「どうでもいいか」「なんでもないや」ということに、と言うことで、しようとする瞬間が多々あるのですが。

「『なんでもない』ってわざわざ言う」

出ちゃってんのよ口に。しちゃってんのよ言葉に。

自己暗示とか他者への表明みたいな動機や効果(?)がもしかしたらあったとしても、わざわざ言っちゃってる時点で全然なんでもなくないし、侵されちゃってる。「侵されてます」って自分に言ってるし、相手にも言ってる。でもさ〜〜〜全然抱えられないっていうか、言わずにはいられないんですよね。なかったことにできないから、せめて侵食部分を減らそうという努力っていうか、自分の中で占めるウェイトをコントロールする努力っていうか。これは「自分に言ってる」の中身なわけですが。

「本当は全然なんでもなくないんだけど、『なんでもない』って口に出すことでどうにか勢いは殺そうと思ってて。あ、ちなみにこれはわたしの全力の努力なんだけど。だから決して『あ、そう、なんでもないのね』とは処理しないでほしいんだよね。だってなんでもなくないから。ていうかむしろ感謝してほしいかもしれない、なぜなら本当は『なんでもなくないこと』をそのまま丸ごと理解してほしいし受け止めてほしいけど、あなたが受け止めきれないだろうと思って自主的にそのレベルを下げてるわけだからね、これはもはや、譲歩だからさ」……こんな人間が他人と生きていけるわけがありませんよね。わたしもそう思います。しかし、わたしはこういうことを「『なんでもない』ってわざわざ言う」ことに込めて、相手に伝えている(可能性がある/あった)わけです。もうダメです。もうダメだあと思いながら演劇を作っています。よろしくお願いします。

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