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「『結果が全て』ってママが言ってた」

マジで言ってた。野花紅葉です。

わたしはこの言葉について、「結果が全て」だという覚悟を持って過程を踏んでいくことにこそ意味がある言葉なのであって、決して何かの価値を決定する言葉ではないと思っています。もちろん、頑張ったんだから結果がどうであれ〜という話ではないというのはわかった上で。

「『結果が全て』ってママが言ってた」

これは、「その価値の『全て』になってしまうだろうから、そうなってもいいレベルの『結果』を出そう」と自らを鼓舞したり、慎重に検討したり、確実に歩んでいくための、お守りのような言葉であるべきだと思うのです。そして、自分が出した「結果」がその「全て」に満たなかった場合でも、不足に気がついたりそれを反省したりして次に繋げられるかもしれないというような、前向きな言葉にできるかもしれません(それでも自分の「全て」を否定してしまうのは良くないよ💦という話は置いておきます、否定したい時もあるから)。しかし、誰かの出した結果に他者としての自分が、評価とか、もしかしたら断罪みたいな意図で使うのは、どうかと思うというか。この言葉を以って誰かの「全て」を否定することは呪いではないかと、思うのです。

この言葉自体が是か非か嘘か本当か、ではなく、言葉の持つ意味とかパワーみたいなものの話でした。登場人物がこの言葉をどのように使い、受け止めるのかはぜひ劇場で。それでは稽古に行ってきます。

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