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「私に無理させたくないならそっちが無理して」

今日も、あなたのおかげでとてもいい日でした、ありがとう。野花紅葉です。

「無理しないで」って言葉、特に主宰をやっているとすごく言うし、言ってもらえる言葉なんですよね。もしかしたらナンバーワンかもしれないんですけど。……このタイトルのくせにこの書き出し、めちゃめちゃ不穏に思われるかもなんだが、めちゃめちゃ嬉しいしありがたいというのはきちんと明言した上で、noteにすると。

「無理しないで」って言うためには、自分が相手にとって「無理させられない」対象であることや、例えを出した主宰業なら、主宰であるわたしには無理をしなくても当たり前に参加できるような環境を作り出す必要が絶対にあるし、責任が強くあると思っているから、今回の稽古場では時勢も相まってこれまで以上に気をつけている(つもり)ではいるし、気をつけたいと思っている。つまり、「無理しないでね」っていう言葉は、伝える相手のために自分が、そういうことに非常に敏感であり、また尽力することが前提であり、そうでなければ成立しない言葉であるべきだと考えていて。

「私に無理させたくないならそっちが無理して」

これはセリフなので(注:このサムネイルによって更新されているnoteの言葉は全て次回公演で実際に台本になっている言葉です)主宰業についての文脈の言葉ではないのですが、個人的にはその、「無理しないで」っていう言葉に責任が伴ってないのが本当に許せないんですよね。前もって言ったのに無理したのだったらそれは無理したやつが絶対完全に100%悪い、みたいな態度。いやいや、無理「させてしまった」という可能性に思いを馳せろよと、その責任から逃げるなよと、思うわけです。

こちらは伝えた、という事実があったとしても、だから責任の所在は全てあちらにあるのですと、言ってしまいたいことはたくさんあります。言わねばやりきれないこともたくさん。ただ、初めから全くの責任を負わないつもりで「無理しないでね」という言葉を容易に、安易に、軽率に使う人間には、少なくともわたしはなりたくないとも、また強く思うのです。

その上で。

今回のモミジノハナ、とっても面白いです。あなたに観てほしいと心から思っています。もちろん誰に対しても無理はさせたくないから無理にとは言わないし、無理したことで負ってしまうリスクのその全てをわたしが100%背負うことは、絶対にできません。絶対にできないのです。しかし、負わせることに対して可能な限り自覚的になりながら、そのリスクを少しでも減らす努力はわたし個人としても、お客様に対しては座組全体としても、最大限取り組んでいます。

「万全」という言葉が死んだ世界だから、その言葉は使いません。

ここまで明かした上で、「無理しないで」、ご都合とご事情がもしよろしければ、観にきてください。よろしくお願いします。

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