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“レベレーション”をもう少し考えてみる

なんだかどうしてもまだ考えてしまい、
そんなふうにしてたら
もう少し理解が進んだりもしたので、
書き留めておこうと思います。

といってもこの
「レベレーション-啓示-」の
ジャンヌ・ダルクに限り、には
なりますが。

※今日も盛大にネタバレしてます

***********************



ジャンヌが死んだその時、
イエス・キリスト自らが
ジャンヌを迎えにきた描写があり、
その際にイエスから、
ジャンヌが最初に聞いた声だけが
イエス自身のものであり、
その後に聞こえたものは
フランスに連なる聖人たちのもので
あったのだと語られます。

イエスによれば、
私の声を聴けるようになったから、
他の者たちの声も受け取れるように
なってしまったのだと。

つまりイエスは、

「フランスへ行け。王を助けよ」

とは、命じていなかった。


…まじか!!と、
のけ反ってしまいますが、

でもこれなら
なんとなくみんなの中にあったであろう、

「あの神が同じキリスト教徒でもある
イギリス人を殺してもいいなんてことを
本当に命じたのか」

という
疑問というかモヤモヤへの、
ひとつの答えになっているようにも思います。

結果
イエスが言ったのは最初の、

「汝 善きことのみを行い、教会へ繁く通え」

だけだった。

けれどもジャンヌは、
その後に降りてくる言葉も
それを発する者が変わっても
おおもとはイエスが望むことなのだと
受け取り、行動した。

多くの血を流す戦いを鼓舞したこと、
ジャンヌが火刑になること
(※当時火刑になると天国へは行けないと
されていたそうです)
そのどちらか(またはどちらも)なのか、
ともかく本来なら
ジャンヌのしたことは、
その神の御こころにはかなわなかった。

けれどもそれらは、
あまりにも純粋な
命そのものからくるような
強い信仰心ゆえに為されたことだったから、

「そなたを否定することは
信仰を否定することである」

とイエスは語り、
「さあ一緒においで 」と、
ジャンヌを天国へ招き入れました。

********************


あぁ…とも思えるし、
えぇ~…ともなります。

だって、
聞こえた声が
バラバラの意思を持ってたなんて、
受け取る側はわからないよそりゃあ。

じゃあ、
「神の声を聞く」
ってどういうことだったのかな?

と、
あくまでこのケースに関してですが
私なりに考えてみました。


ちょっと乱暴に例えるなら、
ラジオみたいなものでしょうか。


◎イエスの声は、全国放送

◎フランスに連なる聖人たちの声は
ローカル局

◎ジャンヌは、その受信機兼リスナー。
ただし、
ピンポイントで聴きたいものは選べない。
受信するタイミングも選べない。
極めて電波も不安定なので、
音量も大きすぎたり小さすぎたりする。

しかもその声は、
リスナー本人にあてて生放送で
語られるものでなく、
一定の間隔で垂れ流され続ける
Twitterの名言botのようなもの。

そういうものを、
送信側と受信側、
双方のチャンネルが合った時に
ランダムに受け取ることが
「神の声を聞く」
ということなのかなと。

そう考えると、
聞こえた声のなかに
矛盾が発生することにも
ちょっと納得がいきます。

もともと整合性なんてないのですから。

けれども受け取った者は、
そもそも受け取れることじたいが
ごくごく稀なうえに、
自分にしか聞こえないのだから、
自分だけに語りかけられていると
取るのも当然ですし、
自身の置かれている状況と結びつけて
そこから必死になって
意味や答えを見つけようとするでしょう。

そりゃそうなります。

しかもそれが受け取るその人だけで
完結することならまだ良いですが、
それがその人から拡散されてくる時、

受信できない者たちからすれば、
その人の人間性を信頼するよりほか
できることがないわけです。

もっと言えば、
善きものとだけ繋がれるという
保証なんかも無いわけで。

いったん回路が開けたら、
悪いものと善いものの
どちらとも繋がってしまえて、
しかもどちらのものか区別できない、
なんてことだってありうると思うのです。

そうなのだと仮定してみると
「神の声を聞く」システム、
あまりにも危うい。
何重にも危うい。

結局は、
「声」に心を囚われてしまったり、
翻弄されすぎてしまわない
その本人の心のバランスが
ものをいうことになるのかも
しれません。

ジャンヌはどうだったのでしょうか?


このことに関係するような、
不思議な、不可解な場面が最終巻にあります。

ジャンヌの兄・ピエールが、
ジャンヌが囚われているルーアンへ
向かう途中に通りかかった村外れの廃寺に、
知的障害のある少年と二人きりで暮らす
年老いた司祭。

なんでもないように描かれていた
この司祭ですが、
唐突に彼も神の声を聞くことのできる
人間であることが描かれるのに、
そこからとくに話がひろがるでもなく
ただ当たり前のようにそれは起こり
終わります。

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どうしてこの最後の最後に、
唐突にこの司祭のエピソードを入れたのか。
(でもなんかここ、
すごく山岸先生らしかったりもします)

ただ、
なんでかわからないけれど、
この司祭はジャンヌとは対照的な位置に
いるように、私には感じられました。

あれれ、
なんかまた謎が深まってしまったぞ💦💦💦


でももう疲れちゃったんで(笑)
今度こそひとまずはいったん本を閉じて、
心の図書館の本棚に戻そうと思います😌


あーもう、
めちゃんこ頭使っちゃったから
脳がもうアレなんで、
甘いもの食べます!(笑)

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どうか脳にすみやかに糖分を届けたまえ…(笑)

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