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28年前の記憶を求めて

けっこう前からぼちぼち自伝的記憶の研究をすることがある(例えば郷原・佐々木・山田,2018についての解説記事などご参照あれ)。実験手法は基本的に(手がかり)再生法である。自伝的記憶でこの方法を用いることの問題点がいろいろ存在することは承知しているのだが,それは今回は置いといて (日誌法も使ってみたいが今回は置いといて)。まあ実験データの再生内容を見ていると,みんな自分の記憶への確信度は高いくせに記述は曖昧なところがあったりでなんとも難しいものだなあといつも感じるのであります。ところで私にも鉄板の思い出ネタというのがあって,それが「遠足で元気弁当のくだり」である。飲み会とかでいっつもこれを話すのだが,何かだんだん自分でも確信が持てなくなってきていた今日このごろだった。

「遠足で元気弁当」は簡略化すると以下のエッセンスにまとめられる:

1.山田は小3のときに「物凄い家庭事情」で,大牟田市立三里小学校(左鐙小よりも早い高速激潰れ)から大牟田市立銀水小学校にちょうど遠足の日に転校した。
2.遠足の目的地は大牟田市動物園だった。
3.遠足用の弁当が無かったので,何らかの弁当屋で「元気弁当」という名の激重弁当を買った。
4. なぜかSLの後ろらへんの坂で,持ち前の内向性のため仲良くなった人もいなかったので1人で元気弁当を喰った。
5. 元気弁当はあまりに重すぎて付け合せのスパゲティを主食と勘違いし,喰い終わったあと2段目に御飯がビッシリ詰めてあるのに気づいて絶望し,「元気が無いと喰えないという意味で元気弁当」だと悟った。

自伝的記憶には「真実性」「正確性」の問題が必ずついて回る。つまり思い出した記憶が,その人が本当に体験したものであるとは限らないのである。例えば「幼児期健忘」 (思い出せる一番古い記憶が3歳頃のものになりがちという現象) の説明として,親子間での会話において子が自身の経験を語ることができるようになるのがだいたいその頃であるからという説がある。しかしたいてい記憶は会話内容に引きずられて歪むという,虚偽記憶的なことが頻繁に生じる(喋っただけの内容を本当に体験したかのように生々しく想起できることがある)。まあ私が元気弁当くったのは3歳の頃ではないので比較的正確だとは思うのだが,飲み会のときに何度も語っているという点が見逃せない。このときにいろんな記憶の改竄が行われている可能性が高い。

上記のエッセンスの中で,(1) (2) (3) (5) はかなり高い確信をもって言える。(4)は正直怪しい。記憶の風景ではそこなのだが,28年も前のことであるため,本当にそこで喰ったのか自信がない(孤食であったことは自信がある)。また,元気弁当を喰ったのがその転校遠足のときなのか,あるいは別の遠足のときなのかも非常に怪しい。正直これは過去の文集などを引っ張り出していろいろ調べたのだが確実に紐付けることのできる証拠は得られなかった。私の銀水同級生の諸氏はぜひ証拠を提供して欲しい(砥上君とか)。


元気弁当

その他の点については念のために実地検証を行った。まずは元気弁当である。大牟田で元気弁当を出しているショップは↓しかないので,すぐに確認できた。というかまだやってたのが奇跡である。

なかなか頑丈なHISASHI。ジャッキーが落ちても破れないだろう。

中央付近に元気弁当の存在を確認。正直,ます弁当の方が気になった。またタルタルとミート(ソース)はオプションの凸品具であるが,何も言わなくても結構入っている。それに28年前はやられたのである。

というわけでゲッツ。「ミ-タ」はミートタルタル追加の意。

なるほど,美観には大きな欠損があったものの,想起内容と一致してスパゲティも入っていた。ちなみに写っていないがなぜかソース的なものがデフォルトで拡散していてパックがべっちょべちょだった。通常なら極限憎悪で究極激昂しているところだが,懐かしさバイアスで優しく拭いてあげたのである。

御飯もあった。子供の頃はこれに気づかなかったのである。そして28年の時を経て,また御飯を半分残した。結果の再現性の高さが確認できた。


大牟田市動物園

というわけで,元気弁当関連の情報 (3) (5) は記憶と一致していることがわかった。次に確認したいのは (4) についてである。これについては上述のように記憶にそこまで自信がない。まず動物園に行ったのになぜSLの周辺で飯を喰ったのかがおかしなところだ。と言っておきながらだが,これは実は本動物園を知っている者であれば何も不思議ではない。大牟田市動物園には私がよちよちしていた頃からずっとSLが置いてあった。置いてあった理由は不明だが,とりあえずその場所が確認できれば私が孤食したエリアも分かるかと思われたため,それを確認しに行った。

観覧車できてたのか。

そういえば昔はぞうがいた。お鼻でいろいろ投げつけられた記憶がある。

図が示すように,SLもあった。しかしこの後ろの坂は植え込みになっていて,とても弁当を喰えるスペースがあるようには見えなかった。この植え込みがいつ頃できたかを知ることができれば,私がそこで孤食できたかどうかを明確にすることができるだろう。この点は今後の検討が必要である。

あとは適当に

とりとか

とらとか

ユキヒョウ (スノレパ) とか

を見ていたら,最奥の広場に出た。孤食の場所の記憶が曖昧なのは,ここで喰った可能性もあるなあと常々思っていたためである。まあ正直ペグを撮り忘れたため,様々なソースを利用させて頂く。

このブログ (たてめおやじさんの「あさっても天気になぁれっ!」) からお借りしている。ここにかつてゾウがおり,現在はなぜかカピバラハウスになっていたのだが,その右奥にあるのがレッサーパンダ(かわいさに特化して進化したと信じている)のハウスである。そしてそのさらに向こうに展望デッキがある。

これのむこう

公式の図を見ると位置関係が分かりやすい。これの一番右端である。このレッサーの絵がまさに描いてある付近にはかつてレッサーハウスも展望デッキも何もなかった。そのかわりたしか当時,ややこんもりした,そう,日和山よりちょい低くらいのこんもり度の部分があった。そのこんもりの上で1人で元気弁当を喰った可能性を否定できない。


総合考察

というわけで,いろいろ見てきたが結局「どこで喰ったのか」と「いつ(の遠足で)喰ったのか」を確定できなかった。自伝的記憶における時空間情報は非常に曖昧になりやすい。そのことを身をもって検証できた。まあ私の思い出など多くの人にとって本当にガチでリアルでどうでもいいことなので別にいいんだけど,今後もこのエピソードを話していく可能性が高いので,備忘録代わりに記録しておいた次第である。少なくとも今の状態からさらなる記憶の歪みが生じないようにしていきたい所存である。(さらに実は小2くらいの頃に熱心に遊んでいた相手の家に関する記憶はもっと混濁している。あまりに物証が無く,現地と思われるところに行っても不可解なことが多すぎるため,imaginary friendじゃないかと思い始めている)


補足情報

あとはせっかくなのでついでに炭鉱も見てきた。まさか子供のころ普通に遊んでいた家の裏の鉄道敷が世界遺産になるとは思いもよらなかった。

宮原抗。なんか禍々しい。

万田坑。なんか神々しい。

それと母校 (三里小) がどんな風に激潰れしたかも見ておきたかったので行ってみたら,本当にコントみたいに見事に激潰れしていた。


アウトロ

今や赤ちゃんが産まれてから育っていく過程の大部分が撮影され,録画され,保存/アップロードされるのが当たり前の世界になっている。ライフログがここまで発達した世界で,自伝的記憶研究がどのように発展していくかを想像するのはとても楽しい。一方で,自分の記憶については記録が残っていないことも同時に楽しく思っている。


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