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山奥の少数民族にもトライポフォビアは起こるのか?

トライポフォビア(集合体恐怖症)が超気持ち悪いというのはもはや人々の間で共通認識になりつつありますが,学術的に「発見」されてからはまだ7年しか経っていません。これまでにもさんざんトライポについてはまとめてきましたけど(ブログとか,アカデミストさんとか,総説まで書いてたなあ),その過程で,なんでこんなに個人差がでかいんだ?とか学習性っぽいけど何が効いてるんだ?とかが2017年頃に謎として浮かんで来ていました。たいていの心理学実験や調査はふつーの大学生を対象として実施されるものが支配的なんですが,そうじゃない人々で,というかできればけっこう極端に違う人々で,調べないといけないよなあ・・・と思い始めていました。でもそんなこと簡単にはできません。ネットで調査したこともありましたが(ヤフークラソ。詳細はこれとかで。モロ宣伝w),やはり大学生の結果と似通っていました。留学生使ったとしてもシーキビだろうと思われました。まあそこらへんの留学生に見せても普通にキモがりますからね。

あはぁ,やっぱ研究って,いろいろ難しいもんだなあ・・・とか思っていたところ,新学術領域研究「トランスカルチャー状況下における顔身体学の構築―多文化をつなぐ顔と身体表現」に我々の公募研究「身体化された情動の文化化を探る―中国雲南省少数民族の身体的心性―」を採択してもらいました。これがめちゃめちゃタイムリーで,本当にありがたかったです。簡単に言うと,「おまえ中国行って来いや!」と背中を押しつつその資金ももらえることになったのです。そこで,「中国国内に居住しながらも中国語すら話さないし文字も持たない雲南省の少数民族」(ハニ族)に以前から目をつけていたので(これに関連して日本民俗学会にも入会しました),かれらを中心に調べてきたろかい!となりました。とまあこんな感じで,極めてマニアックな地域に居住する少数民族でもトライポフォビア刺激をきもがるのか?という問題を調べることができるようになったのです。といっても私はあくまでただの実験心理学者でして,フィールドワークについては完全素人なので,1人で乗り込むのは無理でした(研究法を学びにうちの大学の人類学の研究室に社会人博士で入ろうかと本気で計画していたのですがちょっと間に合いませんでした)。そこで周囲の人々とチームで行くことにしました。詳細は後半にありますが,短期間なのに面白いことも大変なこともいっぱいの濃密な旅でした。

んでその後,大量のデスクリジェクシュンが出来(しゅったい)したものの是非に及ばず寄騎衆の殿ばらが心の限りまめまめしく励んだので,ギリッギリで新学術の期間内になんとか査読論文をパブリシオできました。結果として,山村集落で暮らす少数民族ではトライポフォビアが非常に弱いことが分かりました。トライポが2013年に見つかるまで「発見されないままで」いたのは,この現象が都市化をベースとして成立するものだからなのかなぁとか考察しています。興味ある方はぜひ論文の方を。

Zhu, S., Sasaki, K., Jiang, Y., Qian, K., & Yamada, Y. (2020). Trypophobia as an urbanized emotion: Comparative research in ethnic minority regions of China. PeerJ, 8:e8837 https://doi.org/10.7717/peerj.8837

↓グラフィックアブストラクト。少々でかいけどこれみたらぜんぶわかる。(まだまだその下に倍ほど本文が続きます)

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てわけで,今後はもっともっと変なことをしようと思っていろいろと画策しています。乞うご期待。それと,極地とか特殊な所に行って心理する仲間も募集中です。バンバンありえんところで心理してやりましょうぜ。Enjoy!


・・・さて,以下は最初のフィールドワークの際の日記です。行動記録として(フィールドノートとは別に)残していました。いやまあ,リアルガチのワーカーの方々からは怒られそうな甘いことばかりの素人の物見遊山ですが,私としてはとても貴重な体験でした。最初やしね。とにかくこれを見ると当時何してたかはだいたい思い出せるので,残しておいてよかったです。ノーカットなため明らかに長すぎるので暇な人だけお願いします。

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準備:
本調査はハニ(紅河ハニ族),アカ(西双版納ハニ族),タイ族それぞれにおける上下の心的表象と快不快感情との連合の差異を検討するための足がかりとして計画した(注:当初,トライポの調査はメインの目的ではありませんでした)。彼らに対する実験的な検討が可能なのか,そもそも会えるのか,民族間で何かが違ってる可能性はどれくらいあるのかなどを手探りするために,まずは行ってみて観察をしてみることにした。この調査の具体的実施計画の時点で,私一人ではかなり無理があることが明らかになってきたため,錢琨さん(九大決断),朱思斉さん(九大人環),佐々木恭志郎さん(早稲田理工)を研究協力者に加えた。錢さんは昨年だけで73回フライトし9カ国を回った非常に旅慣れたフィールドワーカーであり,フィールドワーク素人である私には不可欠な存在であった。朱さんは対象とする少数民族のエリアである雲南省出身であり,出身の雲南民族大学で得られた少数民族ネットワークを多数持っており大変貴重な戦力であった。佐々木さんは本研究のメイントピックである身体化認知の研究で学位を取得している最先端の専門家であり,理論的背景の整理,実験・調査計画や実施に関してとても重要な存在であった。個人的にはこれが最小規模・最高効率のMECEチームであると感じられた。

雲南省は「四時如春」とよく言われるように年中温暖な気候が続いている。そこで,連日40度に達する超絶圧倒的気候の日本とは全く異なった装備(ギア)が必要であると思われた。特に夜は比較的簡単に10度台に達するので,長袖を多めに準備しておいた。また山岳地帯にも入るためクロックスをやめ,ジョギングシューズに切り替えた。ソックスも省スペース性を考えジョギング用のものを選んだ。結局,秋くらいのジョガーの格好がベストという形になった。

また現地,特にタイ・ミャンマー国境付近にはマラリアモスキートが大量に生息するとの情報も受け,病院で相談してみたが,熱が出たら即病院に行くことで対応するのが今回は良いだろうとのこと。しかし無防備というのもアレなのでディート30%の特殊な虫よけスプレーを用意した。また予防接種はA型肝炎と麻疹を打った。狂犬病については,犬猫を見たらとにかく逃げろと言われた。腸チフスについては変なもん食うなとのこと(生野菜,生フルーツ,氷は気をつけろと言われた)。B肝については少なくとも私には問題ない。

とこんな感じで出発した。ちなみに記録していないが事務関係の非常に煩雑なやり取りが出発前日までいろいろあった。帰ってもあるだろう。

2018年8月11日:
今日は完全に移動日であった。7時半に福岡空港にて錢さんと朱さんと合流し,コーディネーター達などへのおみやげ(白い恋人)を買い,朝ごはんとしてかなりまずいラーメンを食べ,上海行きの飛行機に乗った。機内食はまずいと聞いていたがまあまあのミートスパだった。上海には2時間ほどで到着し,ここで東京から来た佐々木さんと合流した。チェック所では私の妙にでかいバッテリーとタングステン製のライフル型のボールペンが怪しまれ,何度も身体検査され,何かヤバそうな帳面に記録された。しかし入国審査は非常にスムーズであった。それから雲南省の昆明行きの飛行機に乗り,3時間ほどで到着した。機内食は極めてまずいと聞いていたが,まあまあのパンだった。昆明の空港で米粉を食べたが,これはうまかった。特に炒飯がうまかった。このあたりからはマラリアモスキートが大量発生するらしいので,ディート30%の特殊な虫よけスプレーを全身に丹念にふりかけた。白い恋人を機内に忘れたのでそれを回収するのと,我々の航空券になぜか旅券番号が記載されていないという中国東方航空側の謎不手際があったのでそのクレームなどでかなり時間を使った。このあたりの処理は錢さんと朱さん共に非常に手慣れていて,本当に助かった。彼らを同行者として選んで正解だったとこの時点で確信した。その後もうひと飛びして西双版納(シーサンパンナ)の景洪に到着した。周囲は完全に密度の濃いマラリアモスキート(でかい)の集団に覆い囲まれていたので,ディート30%の特殊な虫よけスプレーをさらに丹念にかけなおした。それからホテルに的士移動し,ロビーで軽く打ち合わせを行い,午前2時頃に各自部屋に戻って眠り込んだ。

2018年8月12日:
9時集合だったので朝食をホテルで取ったが,非常にうまい中華バイキングであったと言ったら錢さんと朱さんからは否定された。まず9時過ぎに今回の全行程の移動をサポートしてくれるウテシと合流した。33歳らしい,かっこいいひげのシュッとした男性であった。茶畑とお茶屋とホテルを経営しているらしい。それなのになぜウテシの仕事もやる必要があるのか全く不明であったが聞かなかった(錢さんによれば,リスクヘッジのためにいろいろやっておこうとする人は多いらしい)。あとずっとスマホでFPSゲームをやっていた。どんなに疲れてそうなときもやっていた。姿が見えないときでも彼がいる方向から常にでかい銃声が聞こえていた。あと悲鳴も。
景洪市街地の別のホテルで今回の同行者である姜月さん(雲南大学)と合流した。姜さんはメガネがりりしいシュッとした女性であった。ハニ族についてフィールドワークを行っており,ハニ語が理解できる。非常に強力なサポートであった。ちなみに双子らしく,お姉さんもフィールドワーカーとのこと。我々が話してる際の反応から,なんとなく,日本語も一部理解してそうな気がした。
さらに市街地の別の地点でコーディネーターの男性Aと合流した。彼はメガネがりりしいシュッとした男性であった。農民とのこと。彼とともに計7人の大所帯で市街地近郊のタイ族の村に到着した。ここはモデル地区とのこと。ちなみに今回も今後も,目的地を決める際にはコーディネーターにその都度ごとに我々の目的と現在の状況を話し,「それならあそこに行ってみよう」的な意見をもらって決めるので,予定通りにいかないことも多々あった。しかし現地コーディネーターの意見が最も信頼できるため,それぞれの訪問先がその時々でのベストチョイスであると考えている。というわけでタイ族の村をいろいろと見学させてもらい,近所のおじさんやコーディネーター自身から大変貴重な情報を得ることができた。詳細は省くが,タイ族において上下・快不快連合は頑健であるものの,居住地や世代によって若干異なる可能性があることや,ハニ族への印象についてや,他部族・他村への印象の鍵を握る鬼(霊)的な存在への信仰についてなど様々であった。この際,私や佐々木さんの質問は一旦錢さんと朱さんにより中国語に翻訳され,それがコーディネーターを通してタイ・ルー語へと二重翻訳されるので,どれだけ詳細部分が失われずに質問できたか少々不安ではある。中国語でのメモが大量に残されているので,まずはチーム内で情報共有とすり合わせを行いたい。ただ,このときやはり,私一人で来ていたらこれは確実に無理だったなと痛感した。本当にチームを組んで良かった。
その後,男性Aさんの機転により,この村の最長老的な方にお話を伺うことができそうになった。しかしご自宅へ行ってみると,用事のために山に登られたとのことで聞けなかった。残念ではあったが最長老なのに体力すごいなと思った。同様に90歳くらいの女性にもインタビューしてみたが,女性はあまりタイ族のことについて知らないことが多いらしい(謎の集団からのインタビューを早急にやり過ごすためにそう答えただけかもしれない)。タイ族のそのあたりの性差に関する事情も気になった。
男性Aさんと別れ,「毛沢東主席をかなり意識した飯屋」で昼ごはんを食べた。初のガチ現地料理であった。私はもともと内臓系が食べられないので既にかなり選択肢は狭められていたが,非内臓の肉や魚は予想より食べやすくてとてもうまかった。その後けっこうあからさまな風俗街的なところで男性Bさんと合流した。彼はグラサンの似合うシュッとした男性であった。なぜかむこうから水の差し入れをもらった。この砂埃の舞う乾燥した西双版納ではとてもありがたいことである。まずは景洪から少し離れたところにある南糯山の哈尼文化園という資料館へ行った。そこで様々な史料や再現物などを拝見し気分が高まったところで,コーディネーターが話を取り付けてくれた「先生」と呼ばれる人のいるところにいくために南糯山を登った(車で)。ちなみに南糯山はこの手の研究では結構頻出する地名で,景洪近辺では有名なハニ村である。標高1800m程度まで登ったところでやっと村についた。そこで「たぶんこの人が先生かな?」と思われるシュッとした方とお会いし,3時間ほど普洱茶を頂きながらみっちりと話を聞かせていただいた。そこでは主にハニ族の歴史や習俗など一般的な話が多かったかと思うがその中にも初めて聞くような情報が非常に多く,驚かされた。どうもあの一帯で最大の物知りの方らしい。帰りに錢さんや朱さんがWeChat IDを交換していたので,今後もハニ族研究を行う上で極めて重要なコネクションができたと言っていいだろう。ちなみに前に日本人が来たのは40年ほど前だとおっしゃっていた(が,南糯山には多くのハニ村があり,日本人も多く来ている模様。今回行った先はほぼ最高高度の地であったためここまで来る人が少なかったのかもしれない。あるいはご本人の記憶の問題やタイミングの問題もあるかもしれない)。大変感慨深いものがあった。その後みんなで記念撮影をしてから山を降りた。
夜は朱さんの後輩というタイ族のかなりシュッとした男性とかなりひっそりとした店(客が最初から最後まで我々だけ)で食事をした。ここで初めて現地ネックス(注:猫のこと)を目撃した。あまりのかわいさに,もう少しで触るところだったがキャリアーである可能性が100%に近いためギリギリで耐えた。ホテルに戻って3時頃まで打ち合わせをした。

2018年8月13日:
9時集合なので軽くバイキングを食べて軽く遅れて集合した。昨日のように途中で姜さんと合流し,勐海県の南糯山よりさらに西部の方へ出発した。国境付近ということもあり途中で武装警察辺防部隊の検問等あってドキドキしたが(完全に自動小銃を用意されていた),まずは景真八角亭という仏教施設へ向かった。かなり大きな八角形の建造物が特徴的だが,興味深かったのは,これがこの地域の最も高い位置に建てられているということだった。また入り口付近にタイ族の女性が物売りをしているので,そこで姜さんがインタビューを行った。が,あまり言葉が通じていないようだった。何かピンクいアイテムを購入させられた。そこで若手っぽい修行僧たちにも同時にインタビューを行い,いろいろと聞き出すことができた。特に印象深かったのは,タイ族の女性がハニ族に対してあまり良いイメージを持っていないことが伝わってきたことである。このあたりの関係性はもう少し調べてみたいと思った。あと兄弟子的な僧は完全にスマホゲームをしていた。
それから少し小さな町に戻って倆好餐庁といういろいろとけっこうオープンな店で昼ごはんを食し,さらに西の勐遮鎮の方へ向かった。そこではまず何らかの司法施設(勐遮鎮文化局)に行き,ハニ族の女性が来るまで2時間ほど,お茶を飲み続けつつこの一帯のお話を聞いた。するとハニ族の女性が原付的なものでスリップ事故しながら現れた(雨だったため。ちなみに無傷)。この方は非常に気さくかつ快活なシュッとした女性であり,ハニ族出身かつ村長の娘でありながらタイ族の男性と結婚したという。彼女らの世代80后は年上への反発が強い世代であり,彼女らも親などがあまりに反対するのであえて結婚に踏み切ったとのことであった。ロックである。錢さんもその方の話などをかなり好意的な眼で見ながら聞いていたのが印象的だった。で,時間が遅かったのでもうこの一帯のハニ村は無理そうだということで(朱さんは格朗和という有名なハニ村にかなり行きたそうにしていたが),近隣のタイ族の集落に行くことになった。そこもまた独特なところで・・・とてつもないレベルの凸凹道(エキサイトバイクレベル)の先に突然現れる絢爛豪華な一角で,住民がお金を出し合って,たった一人の素人の男性に巨大な仏像や建築を作ってもらっているらしい。その男性の技術力が素人だったとは思えないほど高かったのに驚いた。中央に寺院もあり,そこで干支の最後のイノシシがタイ族ではゾウであることを知った。猪は食べるから不適とみなされてこうなったとのこと。面白い。ここでも住民の方にいろいろと聞き込みを行ったあと,どうも非常に珍しいことだがここに日本人の方がひとりいらっしゃるということで,その方にお会いしに行くことになった。タイ族の女性とタイ(国のほう。ややこしい)で知り合い,結婚予定とのこと。しかも何らかの祭り期間中であり,主催の番が回ってきていた家への訪問で,周辺が非常に慌ただしい状況であった。そこで振る舞われた様々な祭りメシをいただきつつ(豚肉をほぐしたふりかけ的なものが美味しかった),男性のお話を聞いた。その方は50歳くらいらしく,シュッとしていた。タイにはエレクトロニクス関係の仕事の都合で何度も行っているらしく,そこで婚約者の方(20代)とお知り合いになったとのこと。こんなところに日本人が訪れることは本当に皆無だよおかしいよと言われた。日本人に。途中,黄色めの謎の食べ物が出され,私に強いfood neophobiaいわゆる食物新奇性恐怖 (Yamada et al., 2012, 2014) が生じてためらっていたところ,私の眼をじっと見つつ,きみだめだよ,現地のことをよく知るためにはまずは食べ物だからね,とたしなめられ,そして食べた。さつまいも的な味だった気がする。そのテーブルはタイ・ルー語,中国語,日本語,タイ語の4ヶ国語が自由に飛び交うかなり異質な空間であった。
その夜は景洪に戻り,超巨大な夜市を見て回ってココアパウダーの代わりになるかもしれないというジャックフルーツ (Papa Spada et al., 2018) を食べさせられたりした。一角の屋台で昨日のかなりシュッとした朱さんの後輩と合流し,タイ族料理を堪能した。そう,ついに出た。虫である。しかし山田は食べなかった。山田以外は全員食べた。じゃがいもの炒め物のエキスに肉をつけて食べるのが最高にうまかった。でもみんなは虫をつけていた。個人的には盃割り屋が面白かった。酒飲む動作をしたあとに盃を叩きつけて割ってストレス解消という店だった。殴られ屋みたいなものかな。子供も楽しそうにやっていた。
ホテルに戻って翌朝が早そうだったのでけっこう早めに(たぶん12時くらい)部屋に戻った。

2018年8月14日:
8時半集合であった。今日は完全に移動日で,向かうのは紅河ハニ族イ族自治州の緑春というところであった。車で12時間。途中何度も「覚悟」をさせられる極めて危険な経路であった。特に山道の途中で強烈なスコールにやられたあと,各地で土砂崩れと水流が発生しており,それによって道が分断されていた際には,失敗したら谷底行きというジャンプをしなければならない川越えがあったりした。もちろん道はずっとエキサイトバイク級である。その状態で査読結果を読んだりしていて正直酔いまくったのもあるが(査読者への怒り感情も少なからずあったが),急激に寒気がしてきて,頭痛も強く,さらには腹具合も最悪の状態になった。夜は21時頃にやっと緑春のホテルに着いたが,晩ごはんも食べずそのまま倒れ込むように寝た。ここが体調が最低だったときである。本当にきつかった。今回,「誰か一人が持ってくればいいから自分はいいかな」と全員が思ったせいで結局誰一人として体温計を持ってきていなかったため測定はできなかったが,熱もあったんじゃないかと思う。そこで強めのルルを投与した。

2018年8月15日:
8時半集合であった。早朝に目が覚め,少々お腹が空いていたので前日に朱さんからもらっていた子弟という謎名前のポテチを食べたらプリングルスみたいで超うまかった。あと河邉さん(大学院時代の先輩)が昔べた褒めされたという中国のおみやげお菓子である何らかのビスケットも食べた。体調としては熱や寒気や頭痛は完全になくなり,腹具合だけが最悪という状態になった。強めのルルを投与し,本日のコーディネーターさん男性Cと合流した。この方はハニ族のシュッとしたおじさんで,私のような黒Tを着用されていて親近感が湧いた。
まず午前中に,男性Cさんの車で緑春最大のハニ族の村を紹介してくれた。興味深いことに,「最も神聖な集会所」が村の中で最も高い位置に設置されていた。その時は集会などは行われておらず,大量の放し飼いの鶏が自由に遊んでいた。ちなみに佐々木氏はその鳥溜まりを見てももはや全く恐れることがなく(注:佐々木氏は極度の鳥嫌いで有名でした),いわく「この旅であまりに多く見せられすぎてもう鳥には慣れた」とのこと。よかった。村には鳥の他にも豚,牛,犬などが多数生息していてリアルだった。特別な日にしか使わないという井戸的な水場もあった。そこで男性Cさんにまずはインタビューを行った(詳細は割愛)。祭事にブランコを設置するらしく,そのモニュメントや打ち壊し後の残骸も見て取れた。またこの村にはミグと呼ばれる精神的トップの男性が村長とは別に存在しているらしい。そういった話を聞いていて引き上げようとしていたら,そのミグの人がまさに帰宅しているところに遭遇した。そこでミグへのインタビューも行った。超貴重であった。ここでの話も興味深いが,南糯山のハニ(アカ)の話と符合しない点があり,とても面白い。やはりハニ族の村間の比較には何か得るものがあるかもしれないなと思わされた。ここまでで思ったのは,ハニ族とタイ族は村にいる限りほとんど巡り合うことがなさそうだということで,にもかかわらずお互いの存在は認識していて,各自は完全に別の集団であり,当たり前ではあるが民族集団としての自己同一性をそれぞれかなり強く持っているということであった。顔特徴などから同一民族集団であることは見ただけで識別できるらしく,たとえ非常に離れた位置に住んでいたとしても,初対面時にすぐに親近感を感じるらしい。国際ハニ=アカ文化学術討論会などに行ってみて雰囲気を見てみたいものである。
その後,緑春の町の真ん中あたりで昼ごはんを食べ(じゃがいも炒飯を頼んだら,じゃがいものみが炒められたものが出てきたりしたものの),次の目的地である元陽へ向かった。その途中でのトイレは過去最大級の汚れ方と見晴らしの良さだったとのことだが私はどうしても入れなかったので写真だけ見せてもらってその両方のことを確認した。元陽では多数のマラリアモスキートに取り囲まれながら世界遺産の棚田を観察し,近くのロッジ風のホテルに泊まり,イ族の管理人さんにインタビュー等も行いつつ,山田はかなりのスピードで眠り込んだ。10時位だったはずである。そして起きて作業していたらヤスデが2匹室内に出現していて驚愕しつつ処置した。ホテルの部屋の中でも怯えないといけないのか,と。ちなみにイ族の管理人さんは朱さんの部屋のGキブリを激潰しし素手でゴミ箱に捨ててその手でそのまま髪を整えた。その後も一度も手を拭う等の動作はなかった。

2018年8月16日:
またも移動日であった。9時集合だったがウテシは疲れていたのだろう。どうも昨日の晩,夜中まで錢さんと佐々木さんと茶畑の話をしていたらしい。いつの間にか彼らはなかよしになっていた。ということで10時前くらいに出発し,建水へと向かった。ここで姜さんが昆明行きのバスで帰るので見送りであった。この町は紅河エリアでは十分に発展していて,かなりスタンダードな中国の町って感じだった。そこでトライポグッズや様々なサッチマ(沙琪瑪)などを見,道端の店でいつもの米粉(山田のみ巻粉)を食べ,姜さんを見送った。その際に錢さんと佐々木さんが外しに行ったが,事後に1元請求されたとのことであった。でもトイレは十分に汚かったとのことであった。佐々木氏は怒っていた。まあいつも怒ってるか。
それからはかなり快適な高速道路で普洱などを経由しつつ景洪に戻った。景洪ではまず「中国のキンコーズ」と錢さんの呼ぶ非常に素朴かつ開放的かつ非衛生的なプリントサービス店で山田の何らかの書類の印刷とスキャンを行った。店員のスキルは大したものだった。そして,安全性と突飛な演出にこだわった店で火鍋を食べ,ウテシの所有するお茶店で3時間ほど普洱茶を飲み続け,お茶を買ってウテシにタバコをカートンでプレゼントし(ウテシはヘビースモーカーかつヘビーゲーマー),1時半頃にホテルに着いた。すると朱さんの部屋がなかった・・・どうもホテル手配業者エクスペディアの処理ミスのようで,錢さんがいろいろと頑張ってくれたが無理だったようである。前払いで部屋をとってそれが処理ミスで取れてないなんてことが「海外で」起こるのはとてつもなく怖いことである(朱さんにとっては地元だったけど)。ひとまず各自部屋へ入っていろいろとやって,翌日に続く。

2018年8月17日:
またも移動日であった。5時半に集合したが,この時点で4人中3人の腹が壊滅的ダメージを受けていることが判明した。錢さんは誰よりも多く食べ,誰よりも無傷であった。おかしい。ウテシにサービスで空港まで送ってもらい,そこで初めて帰りは謎の貴州経由であることを知らされた。離着陸4回か・・・。ひとまず昆明まで飛んだ。そこで朱さんは実家に帰るため別れた。トイレに行きたそうだった。その後錢さんがSky Priorityのエリートだったのでスカイチームラウンジでトイレに行こうと思ったら一般トイレだった。そして米粉が食べ放題であったが,味的にかなり厳しく,台湾製のカップヌードルをいただいた。これは良かった。そして飛行機乗って貴州の興義万峰林空港で降りた(降ろされた)。ものすごい鋭角な逆クラッカー形の山が多数並んでおりなかなかの絶景。トライポっぽい。しかしかなり力の入った公式の観光スポットとなっているようである。しかもここにはプイ族とミャオ族と水族,さらに南に行けばチワン族もいるため,このあたりを対象に加えるのも良いのかもしれないと思った。あと待合室にハンバーグ師匠がいたのでサインを貰おうか悩んだが,錢さんと佐々木さんが言うには人違いらしい。どう見ても本人にしか見えないのだが,確かに家族集団と中国語で喋ってるっぽいし,違うのかもしれない。
次に上海に着いた。しかし事前の情報で上海上空にモロに台風が存在し,そのため各便に大幅な遅延が発生しているとのことであった。個人的には遅延よりも暴風の中で離着陸するほうが嫌だった。しかしまあ,そんなに風の影響も受けず上海に降り立ったのだが,案の定1時間近く遅延したため(たぶん風で煽られて主翼が地面に当たっても爆発しないよう燃料を使い切るためだったと思われ),もともとタイトトランジットプランだった佐々木さんがピンチになった。しかしここでSky Priorityの錢さんのパワーが炸裂し,いろいろと人民たちに怒鳴られたりなじられたりしながらもSky Priorityショートカットシステムですばやく搭乗口まですり抜けることができた。奇跡。そこで東京行きに乗る佐々木さんと別れ,我々も時間無いのにトイレのためにまたもスカイチームラウンジに行き,今度こそ素晴らしいトイレに出会い,ギリッギリで搭乗した。飛行機へのバスは空港内なのに最高で80キロくらい出たはず。その後,無事に福岡空港に到着し,錢さんと別れ,帰途についた。

総評:
旅全体を通して錢さんの存在感が非常に大きかった。出張前から多くの情報提供や諸注意を行い,ウテシやコーディネータ含めた全成員間の調整を常に行い,会計処理も行い,Sky Priorityを行使して奇跡を何度も起こし,我々が食べきれなかった食物を多く処理してくれた。
その他,今後も気をつけるべき点や参考になる点は以下の通り。
1.トイレの確保:馴化すればいいと言われるが無理である。旅前は怪しげなものを食べなければいいかと思っていたが,いろいろと流れ的にそれも無理である。薬の効果にも限界がある。あと,ニーハオトイレで外すことに慣れればいいとのことだが,外し物が飛び散り水みたいな場合(腹痛の場合は必然的にこれ)は結局大惨事になるので,やはり洋式でないと厳しい局面も存在する。とりあえずホテルには可能な限り金を惜しまないほうが良さそうだ。あとトイペは携帯しないといけない。基本的にトイレに紙はない。
2.傘は持っていかなくていい:どうせ使わないしチェック所で出さないといけなかったりバックパックのある程度の容積を消費したりするので不要である。薄い携帯用のレインウェアがあればそれでいい。
3.行動食(レーション)は持っていかなくていい:どうせ食う暇がない。現地にも子弟のような「食える」お菓子があるので,それを現地で買って食うのがカロリー確保にはちょうどいいし安い(4元)。これもバックパックの容量を消費するので,無いとその分別の重要品(ディート30%とか)のために回せる。
4.抗ウイルスティッシュは多めに:あらゆる局面で使う。
5.ペンはタングステン製のアーミータイプじゃないほうがいい。
6.移動は全て車をチャーターするに尽きる:短期調査では特にそう。あの道は自分たちでは無理。あとあの距離を運転するのも消耗が激しすぎる。そもそも「車線フル無視」かつ「鳴らし抜き」連発の中国運転文化に慣れるのは私には厳しい。もしも一ヶ月以上いたりするならバスやらでもいいかもしれないが,それがそもそも絶対無理。とにかく今回はウテシの存在が非常にありがたかった。あの人すごい。
7.レンタルWiFiよりもローミングのほうが圧倒的に使いまわしやすい
8.とりあえず****には謝った方がいい(注:何のことか後から見ても思い出せない・・・)
他にもいろいろとあるだろうが,今回の経験を活かして,朱さん,錢さん,佐々木さんには次の調査を頑張ってもらいたい。健闘を祈る。私は日本から全力で応援する。大丈夫,本当に全力で応援を頑張る。

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