見出し画像

なぜ日本にはPCゲーマーが少ないのか? 【その2】

はじめに

タイトルの疑問について、まだまだゲームの歴史について語り切れていないので、続きを書くことにしました。【その1】をまだ読んでいない方は、そちらから読むことをお勧めします。

前回の記事では、1983年は、コンソール(家庭用ゲーム機)として任天堂のファミリーコンピュータ(ファミコン)が日本国内のゲーム市場を独占したと書きましたが、実は、コンソールゲーム産業において、1983~1990年代後半までの間、日本企業が世界の市場をほぼ独占していました。今思えば、この時期が、まさにMade in Japanの黄金期とも言えます。

しかし、北米においては、アタリショックの影響もあり、日本ほどコンソールゲームの普及は進まず、引き続きPCゲーム市場が拡大を続けました。

北米一般家庭におけるPCの普及

北米のPCゲーム市場拡大を支えた大きな出来事、それは1980年代に北米で発売されたIBM製PCでした。このPCの魅力は、低価格&高機能でした。そのおかげもあり、北米の一般家庭へPCが一気に普及していったのです。

そして、1993年には、id softwareが発売したFPSゲーム「DOOM」が大ヒットし、続いて1996年には、世界初となるオンラインゲームが登場し、その中でも「Diablo」や「Ultima Online」が人気を博しました。

一方、その頃の日本と言えば、ちょうどSonyがPlayStaitonを、セガがセガサターンを発売した時期(1994年)であり、多くの日本国内ゲーマーは、どちらのコンソールを買うか悩み、ワクワクしながら発売日を待っていたことでしょう。そして、残念なことに、日本国内では、PCが一般家庭へ普及したのは、北米よりも、だいぶ遅かったのです。

国産PCに市場の寡占化

日本では、国産PC(NEC、富士通やシャープ etc.)による国内市場の寡占化が進み、これにより市場競争の原理が、あまり働かずMicrosoft Windows 95が発売(1995年)されるまでPCが一般家庭に普及しなかったことが原因です。ちなみに、Windows 95は、日本にインターネットの普及をもたらしました。

なぜ日本にはPCゲーマーが少ないのか?その理由は、先で述べた通り、日本のゲーム産業は、コンソール一色に染まり、北米のゲーム産業はコンソールとPCの両立が進んだ結果であるとも言えるでしょう。

もし、この記事が面白いと思ったら、「いいね」とフォローをお願いします。また、以下の記事もおススメです。


2016年10月より海外インディーPCゲームに特化した紹介動画をYoutubeであげています。このnoteでも情報発信を2019年1月より始めました。