逃走の果てに

  振り返ると逃げてばかりの人生である。色々なものから逃げてきた。走って全力で逃げてきた。

小学生の頃はいたずらばかりの問題児だった。
嫌な奴だったので、成績とってクラスからの支持があれば何も言えないだろうと先生を舐めきって、やりたい放題だった。何でもやって、何でも逃げた。ある日の昼休み、学校の木にサッカーゴールのネットをひっかけハンモックをつくり、校庭中の遊んでる人を集めて乗って木を折った時には逃げ損なって校長室に呼ばれた。
   中高に入ってからも変わらなかった。我が女子校は、授業が始まってから学校に行くときは、警備員さんが先生に電話して許可がおりないといれてもらえない。友達と長年かけて防犯カメラの位置を調べ、門をくぐらず生け垣から学校に侵入してしれっと授業を受けていたこともある。
 大学に入ってからも逃げ続けた。ガイダンスとか健康診断とか面談なんてものは面倒なので一度も出なかった。面倒見のよい小さな女子大の先生は、授業が終わるのを待ちぶせして私を捕まえようとした。私は逃げ続けた。

 そういえば先日、備品管理をしっかりしている厳しい塾から、うっかりホワイトボードのペンを持って帰ってきてしまった。数日はそこに行かない。しかし教室長は怖い。小さな教室で小学生相手に恐怖政治をしいて従わせているような人だ。翌日、他校舎にこっそりそのペンを置いてきた。次に入ったとき「ペンが1本ないが間違えて持って帰っていないか」と問われたが「さあ、持ってないです」と言ってきた。嘘はついていない。完全犯罪の成立である。

こうして私の足は速くなり、どんどん悪知恵がついていった。運動はからきしだめだが足はそこそこ速い。 成長していくこれらの能力を存分に使って逃げた。もし逃げられなくても怖くない。とりあえず怒られておけばいい。相手が怒り疲れれば許してもらえる。

 だが、だんだんそうもいかなくなってくる。大学1年生の時のことだ。
必修英会話の先生は陰険なロシア人だった。
毎週授業前にヤツの腹痛と休講を願った。そんな呪いにはびくともしないヤツの禿げ頭を、私はスピーチでおちょくった。
当然嫌われた。自慢ですが中高のスピーチコンテストで優勝し、高円宮杯に出場した経験もある私は、スピーチには自信があった。しかし、評価は最低だった。偶然か分からないが、他の子が世界の珍しい動物がスピーチのテーマとしてメールで送られて来る中、私だけ毒虫の写真が送られてきたりもした。出席日数不足とどんどん下がっていくスピーチの評価で落単は確実だった。さすがに焦った私は、持てる渾身の英語力を使って謝罪文を送った。返信は「残念ですが、また来年」だった。一応「Oh,no!」と返信して、無事"F"を頂いた。(この単位は4年生の今もまだとれていない。)
この時ようやく悟った。怒られるじゃ済まない世界があるらしい。この社会は実力のある者が強い。強いものに従わないと消される。

 以来、少しは上手くやろうと心がけているつもりである。立ち回る、ということをちょっとずつ学んでいる。

   最近ポーカーフェイスを練習したいので、誰か私とババ抜きしましょう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?