休学を振り返って

休学期間がもうすぐ終わってしまう。

昨年の8月から1年間、休学していました。なんでですか、と聞かれたら学校がダルかったからです。

何をやっていたんですか、と聞かれたら思う存分遊んでいました、と答えます。そして、飽きるほど空の下でぼーっとして、飽きるほど悩んだ。Amazon Primeでサザエさんを全シリーズ3周見たし、ひつじのショーンの鳴きまねが上手くなったし、黙々とリリアンをやって謎のいらない5mの紐をつくった。
まあ要は何もせず、ずっとぐだぐだしてました。

身体も限界にきていたのか、休学したばかりの9月に、この歳で水疱瘡(2回目)になって生死を彷徨ったり、聞いたこともない眩暈の病気になって車椅子に乗ったりなど体調を崩しまくりだったのでちょうど良いタイミングだったのかもしれない。

悩むことはたくさんあった。現在の自分の居場所、在り方、生き方、人付き合いの仕方、親との折り合いのつけ方、考え方そのもの、悩み方...そんなものに悩めば悩むほど自分の像がぶれて弱くなってしまって、他人から色々言われる機会もさらに多くなる、そしてまた悩む...。

自分を見失い続けている中、たっぷりと時間を得てすべてから解放されたのはとてもよかった。

親との関係もかなり改善された。厳しくて、自分の理想と常識から外れる娘は許せない、さらに暴力も暴言も大好き☆な筋肉ムキムキな親に、そもそも休学を認めてもらうまでも大変な道のりだった。「休学するなら寺に入れ!!」と出家させられそうになりながらも何とか勝ち取った休学。
それをきっかけに話し合う機会を得て、かなりの苦痛と困難を伴ったものの、だいぶ自由でいられるようになった。

一番の収穫は自分の感情と向き合う機会をつくれたことだ。いつの間にか無意識に抑圧しすぎた心と、身体がばらばらになってしまった苦しさの原因にたどり着けた。

こういう生活がしたい、という生活を送れるようにはなってきた。どうやら他人には想像できないくらい、おかしなしがらみに囚われた生活をしていたらしい。一言で言うと、普通にしていていいんだ、と気付いたのである。

ただ、様々な感情がある中で喜と哀しかなかった人間が初めて感情豊かになるとどうなるかというと、まあ持て余すわけです。その出し方が分からない。自分で制御できない。自分の感情に自分が呑み込まれていく。自分の軸が揺らいでいる中でこんなものを突然手にして使いこなせる訳がない。

ここしばらく周囲の人にはなんか(なんか)情緒不安定だったり感情的になったりで迷惑をかけてしまった。本当に申し訳ない。ごめんなさい。
それでも最近、突如解放され暴れまわっていた感情くんも落ち着きを取り戻し、情緒も安定し、朗らかな日々が送れつつあります。

休学前から再開したTwitterでは、終始自分の考えの整理で気持ちの悪い思考を吐き出しまくってるのを温かく見守ってくれて、優しい言葉や知恵をくれ、眠れない夜には付き合ってくれ、たくさん一緒に遊んでくれるフォロワー達に大変感謝しています。

そして、過去の不幸を考えたり、自分自身を必要以上に見直すのはもう充分かな、という気分である。

また明るくて愉快な毎日が送れそうです。前に進めそうです。まあ進む前が決まってないんですけど。タスケテ!

私は無能でぽんこつだけど、天才で無敵なのでこれからも大丈夫です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?