恋、雑記

高校の同級生で結婚した人が3人になったらしい。

同級生が"結婚"なんて、生活と人生に絡めた恋愛をしていく中、夢見る夢子ちゃんで、彼氏もいないのにウエディングドレスを決めたりブーケを選んだりしている。なんなら一度ゼクシィを買っているのでピンクの婚姻届を持っています。新婚旅行はベネチアがいいなと思っています。あとはパパッと名前を書くだけなのですが、そこのあなたいかがですか?

下北沢のカフェでそんな話をしていた私達は、その後チェーンの漫画喫茶に入って2人でもくもくと少女漫画を読んだ。

恋ってなんだろうか、愛ってなんだろうか。
普遍的な正解は特にないと思うのでそんなこと考えず私なりにまっすぐ人を好きになって大切にしたいと思っている。

しかし、いつからか、他人を思いやる心というのが自分の中に見当たらなくなった。他人の感情を大切に扱う上で揺れるべき感情が欠けてしまったらしい。何も感じない。人から好かれても何も思わなくなってしまった。
その代わり24年間で得たものは「他人に期待しない」心だ。それは多分転校ばかりだった小学生で芽生え、大学4年間の悲しい人間関係で大きく育ってしまったものだろう。

今までお付き合いした人には「もるちゃん淡白だよね、本当に俺のこと好き?」「目離したらどこかいなくなっちゃいそう」なんて言わせてしまった。

ちゃんと恋愛感情を抱いたこともほとんどないのかもしれない。初恋だと思っていた人はただの憧れだった気もするし、なんなら実際「私Aくんになりたい!!」とか言っていたな。

恋愛って本来は楽しむものなのだろう。

付き合うことには責任が伴う。付き合う、ということも怖くなった。本当に、足がすくむ、と言った言い方が正しい。
一時の感情で付き合って、何度かひどい振り方をしてしまった。いくらでもこうだから仕方なかった、なんて言い訳を並べられるが不誠実極まりない。申し訳ないことをしていることは頭では分かる。心では何も感じていないことが本当に問題である。
付き合い続けるのが怖かった。この人ともう少し一緒にいてこうなったらどうしよう、なんて負の面ばかり考えるようになってくる。私がこの人をもっと好きになって、色々期待するようになってしまったらどうしよう、と。
言い訳させてもらうと、付き合っても結構ひどいことをされたことが多かったのもある。それゆえ、結構負の感情で打算的になってしまうことが多々あるのだ。特に初めてお付き合いした人が"貧乏コンプレックス""ガリ勉コンプレックス"でしんどい事件があったことも大きい気がする。「軽々しく人に恋をすると痛い目にあう」、「簡単に人と付き合ってはいけない」ということに私の中でなってしまっているらしいのだ。本当は真心だけでいいのに、悲しいことがあるとどんどん理想が高くなっていくなぁ…。

しかし、自分の心が踏みにじられることに慣れてしまったからと言って他人を蔑ろにしてるのは最低だと思います…。


それから、基準をどうやら自分の父親においてるぽいことに気付きました。そんなに大好きな父親がいることは幸せだが、ただのファザコンなのかもしれない。男女逆で考えたら怖さが増すな、自分の母親を基準に恋人選ぶ男なんて絶対嫌です。

なんとなく、リスクを負わない、傷付かない関係を続けてばかりです。自分の感情にまっすぐになって、他人と向き合えなくなってしまって、こんなんじゃあとには何も残りませんね。
大切で失いたくない人達はいるのに、好きになる覚悟はありません。誰か受け止めてくれる人がいたらいいのに、なんて他力本願な気持ちもあります。
好きになってもいいですか?

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