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「変わること」と「変わらないこと」


突然ですが、僕の座右の銘をご紹介します。(誰も知りたくないでしょうが 笑)

それは諸行無常です。
国語の授業で聞いたことのあるフレーズでしょうか。この言葉の意味は、万物はいつも変化したえないこと
社会や人、何においても全て変わり続けるということです。そういった変化に嘆いたり慌てふためいたりするヒマがあるなら、次に自分はどうすれば良いのかを見極めて言動をアップデートしていきたいという想いを込めています。

これまでの当たり前はいつまで通用するのか

いまやコロナで世界全体の当たり前だった暮らしが様変わりし、オンラインでつながることの意識のハードルが下がりました。これまでもツールはあってもどこか苦手意識がありましたよね。それから飲食店関係の方々や人を集めてナンボの業態の方々は存続を危ぶまれていて、ブランディングを考える必要が出てきました。

もっと生活面のことで言えば、お金のこと。これは別にコロナだからというわけではなくて日本人にずっとある固定概念です。

「投資は危ないし怪しい」「貯金は銀行にしておけば安心」という考えはいにしえのお話。銀行に預けておけば利率で預金が増えていた時代ははるか昔のことで、今や0.001%とかしかない銀行に預けることは外国人から言わせると「ソレサギダヨー!」とのことです。
昔は〇〇だった、に縛られ過ぎていると大事なことに気づけなくなっちゃうので、そこはアンテナ張って本質を捉えるということを大切にしています。

変わらないことの持つ意味

ところが変わらないことの大切さを知る機会がありました。
とある事業で岡山県総社市にある「井山宝福寺」という臨済宗のお寺へ取材に行きました。小鍛冶一圭住職から様々なお話を伺う中で、興味深い話を聞きました。

http://iyama-hofukuji.jp/about.html

私「今後のこのお寺の在り方や展望など教えて下さいますか?」

住職「先代から受け継いだこのお寺を変わることなく守っていきたい。」

社会や人の変化に柔軟にアップデートしていくことが、どんなことにおいても大切だと思っていました。が・・・変わることなく??

詳しくお話を聞いていくと、一つ一つの行動についても変わらず同じことをされているそうです。例えば朝の掃除。これは想像つきそうですが、汚れているからするのではない、心の垢を取る行為だと。

住職曰く、変わらないその先に見えるものがある。

じゃあ森はこれから何を軸に生きていく?

やはり私は諸行無常を大切に生きていくことは変わりません。

ただ、文化や歴史のように変わらないことによって価値を発揮するものもあるのだと知りました。本堂や境内など敷地全体は仏の世界を表すそうです。門をくぐるとどこか厳かな雰囲気に包まれて空気が澄んだように感じます。そういった俗世間とは別の空間であることで、悩んだり困っている人がお寺を訪れ癒されるのだと思います。

確かに変わらないでいることで、周りの変化に敏感になれるのかもしれない。ただそれに動じることなく、淡々と変わらない姿勢でいることがお寺の役割であり心の拠り所になる存在としての姿なのかなと自分なりに解釈しました。

その上で、自分自身は様々な当たり前に流されることなく、「自分がどうしたいのか」「何のためにその当たり前はあるのか」と疑問を持ち続けられるようにしようと思います。

それで変化の荒波に少し疲れたと思ったら宝福寺に坐禅しに行きます。

あらっざっした。

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