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方向性の違いじゃないから、

   精神的に心中するみたいにしてバンドを組む。そうであったらよかった。ぼくが今でも一応楽器を続けているのは、なんとなくとか、流されてみたいな言葉が似合う。趣味でしょと言われたらすこしへこむくせに、たとえば野心もないし、聴かれようとする努力も怠っている。ずっとある焦燥感みたいな何かが、爆音で誤魔化せるのが好きだった。

   曲を作りたいんじゃなくてバンドをやりたいんだと言われたとき、軽く流してしまったけれど、今はすこしだけ意味が分かるようになった。曲を作ること、楽器を演奏すること、バンドをすること、全部違う。バンドは概念。それでぼくが好きだったのも概念としてのバンド、だから組んでも組んでも上手くいかない。

   音楽よりもバンドがすきだったんだろうな、と思う。お前が。作るために音楽の小さいところをつついて、つついておじけてさわれないくらい、ほどけるように鳴らしたかった。そうやって作りたかったのにバンド、バンド、バンドに囚われているから、全然こっちを見てくれないままだった。誰も分かんねえよってことをお前にだけは分かってほしかった。本当は聴いてもらう人のことよりもお前、お前とかさあ、せまい部屋の中だけで響けばそれでよかったと思っていた。それがおれのバンドで、音楽を作るということだったから。

   手伝っているつもりだったと言えば笑われるだろうか、メンバーの自覚がないと怒られるだろうか。ぼくは曲、作れないから唄われたかけらが形になっていくことが、すごくきれいに見えた。フレーズを考えることは楽しくて、でも感情の波が旋律になって浮かび上がる経験をしたことがなかった、だからお前は特別で、ひとりきりだった。だれにだって曲は作れる、それもきっと真実で、でも、その可能性なんて捨ててしまってぼくの大体ぜんぶを詰めてお前に託そうとした。託されてほしかった。ぼくが作曲者になる道を、そういうの捨てちゃってでもお前の小さい天才に賭けたかった。

   そういうバンドを組んだらよかった。たまにそんな気持ちになる瞬間があった。ライブをしたとき。記憶が残ってないような、それはいわゆる二日酔いのきもち悪さではなくて、もっと明快な蒸発。そういうときに、バンドを組んでよかったと思った。勘違いでも良かった。でもそういうことに永続的な効果はなくて、ぼくはなんていうか、乗り切れないままだった。バンドとかいう波にも乗れなくって、狂愛的に楽器を舐め回すこともできずにいる。曲が作れないからと言っても本当は誰だって作れること、それも最近とうとう暴露てきちゃって、だからなんでだっけって思うんだ。あーもっと、気付かないで突っ走れたら、お前だけだって思い続けられたら良かったのかな。そうじゃなくて建設的に話し合えたらいいんだろうけど、現実ではそんなにちゃんと話せない。もっと倒れ込むように、視界を狭くしてお前だけを選べたら、そうであったらよかった。そういう風に、バンドを組めたらよかった。



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