おしまい
奇妙なノートを書いていた。
中学生のとき、毎日、部活の顧問に提出したノート。
練習内容や、気をつけること、感想などを書いていた。
朝練の時に、先生が座る椅子に置いておくと、読んでくれて、何かしらの返事が書き込まれ、放課後の練習で返してくれるシステム。
私はCampusのノートを使っていた。
毎回、Campusで、色を変えていた。
ここまでは、まあ普通のノート。
だけれど、奇妙なのはここからで、どのページも終わりに書く言葉が一緒だった。
楽しかった。
って。
過度な運動で気持ち悪くなってトイレに駆け込んだ日も、自分だけ上手くなっていないような気がした日も、ケガで練習に入れなかった日も、練習試合でボロ負けした日も。
楽しかった。
で終わっている。
奇妙だ。
私は何をもって楽しかったと、言っていたのだろう。
自分に言い聞かせていたのか。
希望を込めて書いていたのか。
事実を、思い出のようにきれいに書き換えていたのか。
いずれにせよ、“書く”ということが持っていた意味は大きいと思う。
書くことは、終わらせることができるから。
私は、Campusのノートからnoteへと場所を変えて、今も書き続けている。
日々のどうでもいいことも、自分の中のぐじゃぐじゃした感情も、誰かに伝えたい事も、書いてしまって、終わらせて、なんだかんだ楽しかったってことにする。
書くことで、自分の外へ放り投げて、終わらせる。
あー、楽しかった。
言葉にして書き残すことは、無責任なところがあると思う。
思ってなくても、嘘でも、他の誰かが使った時とは全く違う心情でも、全く同じ形に、残すことができる。
自分から出て行って、一人歩きすることがある。
劣化は、しにくい。
だからこそ、書くことに無責任になってはならないんだろうけど、私は無責任に言いたいと思う。
楽しかった。って。
書き終わるときに、今日も楽しかったって書きたい。
嘘でも、無責任でも、悲しくっても。
これ以上、続いて欲しくないこと。
塗り直してキレイに残したいこと。
楽しかった、と書いて終わりにする。
お伽話の最後に決まって言う、あれぐらいのテンションで。
めでたし、めでたし。
おしまいっ♪
はい、おしまいっ♪