へらへら喋る人

私は、へらへら喋るみたいだ。

書くときは、そんなにへらへらしていない(つもり)。


私のへらへらの歴史をたどってみよう。

私は、明るい子だったと思う。
好奇心旺盛、落ち着きがない、ころんでも泣かない。

“へらへら”というよりは、“にこにこ”。

にこにこでなくなったのは、自信をもてなくなったころだと思う。
好きになることに自信をもてなくなった。
人をいじめ、人にいじめられた。
何より自分が嫌いだった。

嫌いな自分をひっさげて、誰かと、面と向かうのは怖い。

だから、とにかく何でもかんでも笑っていなくちゃいけない。

人の言うことに、ひたすら笑う。
人の顔色に合わせて、自分の言うことを決める。


すると言われた。

何がそんなに面白いん?
何言っても笑うよな。
何考えとるか分からんし、面白くない。


自分を出す、なんてこともできず、
怖いからと、自分を隠すことも、人を不快にさせるようだ。

“へらへら”するようになった。
私は、自分を出す気すらなくて、別に隠す気もなくて、どうでもいい。
を体現した。

自分が望む形を、どうも対極にあるような形に握りつぶした。

つぶれるのは一瞬。
へらへら上手の出来上がり。

私のへらへら史。


ちょっと重ための話になったけど、今の私は、そんなに思いつめてもないし、なんとなくへらへらしていると思う。

それでも、私のへらへらの歴史が黒いからか、へらへらしていない人が好きだ。

媚びない人。
はじけられる人。
トゲトゲした人。
ふわふわした人。
(こんな人たちは、逆にへらへらしてたいのかなあ)

私がへらへら喋る人でなくなれると思っているのが、文章の中。

それも誰かに面と向かうことなく、書ける場所。
それは、つまり日記や、noteだと思う。

へらへらしないと、やってられなくなった私が、へらへらせずにいられる場所があって良かったよ。

少しだけだけど、つぶしてしまった空き缶が、元の形に押し広げられる。
広がってもボコボコだけどね。

握りつぶして、投げ捨てた。
ボコボコで、からっぽで。
所々、指を切るような突起。
小さく穴があく。

ゴミ箱にも入れてもらえない空き缶を手にとって、その凹凸(おうとつ)を指先でたどる。

あいた穴や、できた突起がなくなることはないけれど、へらへらせずに、時々、なでてあげるんだ。

私は、今日もへらへら喋る人。



#雑記