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続けることは狭いのか

いつか、何かの面接練習で聞かれたことがある。

「 小学生から今まで同じスポーツを続けてきました。」と私が答えた後の、追加質問。

「 同じことばかりして、視野が狭いとは思いませんか。」

その時、何と答えたか覚えていない。

だけど、今になっても、その質問を覚えているくらいだから、言葉に詰まってしまったのだろう。

続けることは、狭くないと言いたかったんだろうけど、言葉にならなかったんだろう。

今なら、少し形に出来そうなので書いてみる。


色々なことを経験し、様々な分野に手を伸ばしていると、思いがけない点と点が繋がって、新たな形を成すことがある。
これを、多角的に物事を考えられると言ったり、視野が広いと言ったりするだろう。


でも、視野の広さは一方向でないと思っている。
1つが、数の多さから得られる広さ。
上記した。

そして、もう1つが、続けることで見つかる奥行きの広さ。

続けていると、隠し扉みたいなものを見つけることがある。

続けてみなければ、見つけることができなかった扉の向こうには、続けた人だけがみられる景色が広がる。


続けることに固執して、新しいことに手を付ける機会を損なってはいけないと思う。
広がりを生む可能性を1つ消してしまう。

だけれど、続けることを安直に狭いと考えて、続けることを放棄するのも、広がる未来を見捨てているように思える。


1つのことをやり続けるのを無意味だと感じるときもあると思う。
どこかに突き当たって、進めなくなるように感じることもあるからね。

でも、ドアに手をかけ、そこから抜け出したとき、胸に飛び込んでくるもの、頭を駆け巡るものは、そこまで進んだ人だけが得られる特権だと思う。


同じところに居座り、続きを否定して、偉そうに、いかにもこれが全てだと言うように何かを語る人に魅力を感じられない。
そんな人になりたくない。
綺麗な額縁に入って、萎(しな)びて古びていく一方なんてのは嫌だな。


あっちにも、こっちにも広がって、どこまでも行こう。
いつまでも、そうありたい。



#雑記