こそばゆい失恋
こそばゆい話をしよう。
「その人、というのが今のパートナーです」みたいなハッピーエンドではなく。
失恋について。
恋と愛の違いとか、好きなタイプとか、そういうのは、いまいちピンとこなくて。
人の話に、流され、流され、行き着くことなく宙ぶらりん。
そんな私も、失恋を味わった。
少しずつ、思い出に変わる。
原型を留められず、きれいになっていく。
そんな失恋の記憶。
あー、自分が言うの、こそばゆい。
こうなったら、思いっきりこそばゆいの書いてみようか。
と思うけど、私は、そういうのに向いてない。
友だちだよな!みたいなやつだった。
その恋は、向こうからやってきた。
2人でコタツに入ってた。
告白された。
友だち感が拭えないと迷う私。
それでもいいと教えてくれた君。
君の好きに、私の好きが追いつくのに、そう時間はかからなかった。
本当に楽しかったね。
でも、追いついて、勘違いした私は、1人で道を踏み外したらしい。
気づけば、君と、私の好きは入れ違ってしまっていた。
ちょうどXを描くように、すれ違って、再び交わることがない。進めば進むほど離れていく。
それに気づけたのは、別れを告げられ、来た道を振り返ったときだった。
持ちつ持たれつの関係だったのに、私が、勘違いしたときから、持たれつ、持たれつになってしまっていた。
持ちつ持たれつが上手く成り立つ割合は、人と人によっても、時によっても、異なると思う。
それぞれ居心地のいいバランスがある。
ただ10:0や、0:10が成り立つことは不可能だと思っている。
おしくらまんじゅうのように、相手の居所を探りつつ、もたれかかったり、逆に、支えてあげたり。
支えるばかりでは、疲れ果ててしまう。
もたれかかるばかりでは、誰かを潰し、自分も崩れる。
やっぱり持ちつ持たれつが1番、楽なんだ。
相手の胸の内を“少し”覗(のぞ)き見て、自分の胸の内を“少し”見てもらう。
お互いが楽に、もたれ合うことができる。
いつしか、私はその“少し”を怠るようになってしまっていた。
それを2人の親密な関係と勘違いして、自分からバランスを崩してしまったんだ。
全てを、晒(さら)して、押し付けた。
私の心は、シミや、くすみ、傷だらけなのに。
赤ちゃんの肌のように、そのままで、それだけでいいと思い込んでしまっていた。
そんなに透き通った心を持ちあわせていないのに。
心の奥底から自立した、できた人間でもないのに。
全ての人と、持ちつ持たれつは難しいし、その必要もないと思う。
もたれずに、ある程度の距離を取り合うのもあり。
ある程度の我慢を強いて、保つべき関係や、乗り切るべき場面もある。
しかし、その人が、これからもずっと寄り添っていきたい相手なら。
きっと話は別だろう。
自惚(うぬぼ)れて、自分の汚い部分まで相手にぜんぶ、なすりつけてはいないか。
全て相手に預けることを信頼や、絆と思い込んでいないか。
ほんの“少し”。
自分と相手の間に生じうるズレを、受け止め、許し、もたれ合う優しさを。
受け止めてもらい、許してもらう、謙虚さを。
“少し”だけでも持っていよう。
もう、大切な人が離れて行ってしまわないように。
やっぱり私には、向いてなかったね。
こそばゆい失恋話。